皆さんは誰かを憎んでいるだろうか?
ちなみに、「恨む」とは憎み続けるという意味で、「呪う」は、恨んだり憎んだりしている相手に災いが起こるよう願うことであると同時に、「強く恨む」ことであるらしい。
憎しみの王様が呪いであるということか。
しかし、呪う、恨む、憎むの間に、根本的な違いはない。

あなたは、誰かを、憎み、恨み、呪っているだろうか?
私は、若い頃は、私の担任だった教師の大半を憎んでいた。
かなり長い間だ。
だが、考えてみれば、今は全くそんな気持ちはない。
私が憎んで止まなかった教師達にも、私が見ようとしなかっただけで、良いところはあったはずだ。
では、私が憎んでいた、彼らの悪いところは無かったのかというと、それは確かにあったのだろう。
ただ、それは、単に彼らも未熟だったというだけのことなのだ。
今では、彼らが、あんなことを言ったりしたりしたのは、仕方のないことだったと納得出来る。

ところで、最近私がよく観ている『地獄少女』というアニメには、毎回、ひどい悪人が登場する。
平然と他人に大きな苦しみや悲しみを与え、それが、純情なクラスメイトを自殺の追い込んでも、良心の呵責を全く感じない。
自分のせいで真面目な後輩が苦しんで死んでも、自分が安全なら、それで何の問題もなしと考える。
そんな人間は、アニメや小説の世界にしかいないのではなく、現実にいるし、人間の実に1割から2割はそうであるという研究結果もある。
では、彼らをどうすれば良いだろう。
断罪し、罰を与え、自分の犯した罪を後悔させるべきだろうか?
いや、偉大な愛の力で説得し、改心させるべきだろうか?
無駄だ。
彼らは、後悔も改心も「絶対に」しない。
なぜなら、彼らの脳自体に、罪の意識を感じる機能がなく、ありもしない罪の意識を後悔したり、罪の意識をたよりに改心することは、科学的、論理的に「ありえない」のである。

人間の性は悪だと言っているのではない。
性が悪である人間がいると言っているのである。
そして、そんな人間だって、絶対に必要なのだ。
そんな良心を持たない人間は、良心を持たないがゆえに、良心のブレーキがかからないからこそ、普通の人には決して出来ないことが出来るのである。
残酷で、非人道的なことでも、それをしなければ、災いが起こることもある。
それを彼らがしてくれるという面もあるのである。
だから、彼らは、意外と英雄や大企業の経営者に向いているとも考えられるのだ。

それに、『地獄少女』のヒロイン閻魔あいや、その仲間にしたところで、いかに相手が悪人とはいえ、あれほどの断罪を行うからには、やはり、普通の人が持つ何か大切なものが欠けているのである。
良心を持っていないと言って良いかもしれない。
良心を持っていない人間のことを、心理学や脳科学、あるいは、精神医学では「サイコパス」と言うことがある。
サイコパスは魅力的であることが多いと言われている。
閻魔あいは、とても魅力的だろう?









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