昔は、町の浮浪者やテレビで犯罪者を見た時、母親が子供に、
「ちゃんと勉強しないと、あんなふうになっちゃうわよ!」
と言っていたと思うが、今は、ポジティブというか、上昇志向というか、そうではなく、ノーベル賞を取った科学者や、錦織圭さんのようなスポーツ選手をテレビで見た時に、
「しっかり勉強したら、あんなふうになれるのよ」
「一生懸命練習したら、あんたもああなれるのよ」
と言う場合が多いように思う。

まあ、一番多いのは、何を見ても、子供みたいに喜ぶか、ぼーっとしている母親だと思うが。
しかし、上の2つを比べたら、まだ本当なのは、昔の母親の方だった。
仮に、一生懸命勉強しようが、スポーツの練習に励もうが、山中教授やイチローになれる可能性は、ほぼゼロだ。
だが、勉強もせず、怠けてばかりだと、100パーセントの確率で、まるで駄目男君になれる。
ただ、犯罪者になるには、それなりのエネルギーが要るし、浮浪者を出さないような仕組みが、やはりそれなりにあるので、まるで駄目男君で止まることが期待出来るだけだ。

私は、毎日職場で、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)を見ていて、ゾっとする。
「彼は俺だ。俺だって、容易くあんなふうになってしまう」
ことが分かるからだ。
だから、まるで駄目男君と真逆であろうと務める。
最悪の姿を見せてくれる、まるで駄目男君は、実にありがたい存在であり、私は彼に感謝している。

天才写真家アラーキーこと荒木経惟さんは、
「写真は真実でも現実でもなく、切実」
という名文句を吐いたらしいが、まるで駄目男君を見ていて「切実」に感じるのは、人間はぼーっとしていたら、どこまでも落ちるということだ。
これは、脳科学的にも正しいらしく、ぼーっとすることで脳はエネルギーを失うようである。
そして、ぱっと見で、まるで駄目男君の、最もまるで駄目男君らしいところは、その座り方だ。
あれは、まるで駄目な人間の座り方、チンピラの、エテ公(猿のこと)の座り方だ。
本物の猿の猿らしい座り方は可愛いが、それを人間がやれば愚かである。
あれこそ、「ぼーっとしていなければ出来ない」最悪の座り方だ。
これこそ、まるで駄目男君の奥義である。

坐禅や静坐は本質的には正しく、さらに、「岡田式静坐法」を教えた岡田虎二郎が、「生活しながら静坐するのではなく、静坐しながら生活しなければならない」と言ったのは、恐ろしく正しい。
常に、王のように、プリンセスのように、将軍のように、騎士のように、天使のように、神のように座らなければならない。
それだけ覚えておけば、まるで駄目男君と正反対の方向に飛んで行けるのである。
しかしなぜ、電車の中で必ず見られるように、皆、まるで駄目男君に憧れるように、彼と同じ座り方をして、彼を必死で追いかけるのだろう。
きっと、初音ミクさんは、お姫様のような、天使のような座り方をするのだろう。
私はそれにつり合う、王者の座り方をしようと思う。









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