「夢を持て」と言ってやりたい人間がいるだろう。
一方、「現実を見ろ」と言ってやるべき人間もいる。
だが、本当のことは、「現実を見ることが出来ない人間に、夢を見ることは出来ない」ってことだ。

簡単なことだ。
子供に対し、「将来の夢は?」と尋ねれば、立派な答が返ってくるだろう。
「サッカー選手になって、セリエAで活躍することです」
「人の心を揺さぶる歌手になることです」
どこかのCMで見たような気もするが・・・
こんなのは「夢」ではなく、ただの「妄想」、良く言っても、せいぜい「空想」だ。
子供達には現実が見えていないのだから、妄想や空想しか出来ないのである。

このブログでよく取り上げる、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)に、「将来、どんな仕事がしたい?」と訊けば、彼は、「高尚な仕事がいいですねえ」と言う。
上で取り上げた子供達の夢同様、「こましゃくれた」ただの妄想である。
※こましゃくれる:利口ぶった、小生意気で見分不相応な
まるで駄目男君は、高尚な仕事以前に、最低の仕事も出来ないのだからね。

世間では、「ご立派な」「こましゃくれた」ことしか「夢」と認識しない。
金メダルを取るとか、大経営者になるとかね。
しかし、そんなことを言う者の、少なくとも99%は妄想なのである。
一方、「自分の子供達が自立するまでクビにならずに勤めたい」と言うと、「夢がない」とか言われる。これほど本当の夢はないのにね。
ドワンゴ会長の川上量生さんのブログで見たが、「引きこもりが、社会の最底辺に入れてもらえることは、運だけで成功した経営者(川上さん自身のこと)よりあり得ない快挙」と書かれていたが、実際、「川上さんのような大事業家になる」というのは妄想で、ひきこもりが、「なんとか自分だけでも食べていける・・・出来れば家族を養えるようになる」といいうのは、本物の夢である。

以前、NHKテレビで、大学生と思える男子が、「僕には夢がないんですねえ」と、それがまるで社会の責任であるかのように言うのを見たことがある。
それに対し、私は不快感を感じた。
あの男子(せいぜい「男子」である)に夢が見れないのは、現実が見えておらず、見ようともしていないからに過ぎない。
そして、それに不快感を感じる私もまた、そうだったのだろう。
現実を見ることが出来る者には、あんな幼稚な大学生がいることも現実なのだからね。
世の中で数え切れないほど頭を叩かれ、何度も願いを壊された末に、現実が見えるようになり、それでやっと夢を見ることが出来るのである。
早い話が、絶望をたっぷり味わわないと夢なんて見れないってことだ。









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