宗教の教えは、本来、現実的なもののはずなのだが、現代の我々にとって、キリスト教の「天にいる父なる神」とか、「西方極楽浄土にいる阿弥陀如来」などという言い方は、違和感や抵抗を感じるのは仕方がないだろう。
実際は、昔の高僧ですら、それらの言い方は、あくまで比喩、喩え、象徴といったものであることをちゃんと理解していた。
例えば、親鸞の弟子であった唯円が書いたといわれる『歎異抄』にだって、実際は、仏様には大きさや色といったものはないと書かれている。
釈迦やイエスや、その他の高僧達が、比喩を用いたのは、庶民が受け入れることが出来るようにである。
しかし、庶民は、少なくとも、知識の面では進歩した。

庶民は賢くなった。
だが、実際は、「ほんの少し」賢くなった、あるいは、小賢しくなった程度かもしれない。
みんながみんな、高度な科学が分かる訳ではないし、そもそも、その科学だって、まだまだ未熟なもので、容易く定説が覆ることもある。
しかし、この世には、何かは分からないが、人間には想像も出来ない力を秘めた無限の英知とでも言うしかないものがあることは、直感的に感じると思う。
それを、昔から人類は、神とか仏とか言ったのだが、ジョセフ・マーフィーは、「言い方はどうでも良い」と断言した。
それで、マーフィーは、『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。原題『The Cosmic Energizer』)では、その至高の存在のことを「The Cosmic Energizer(宇宙の活力)と表現した。ただ、それはあくまで、「一応」であり、現代人に受け入れ易いから、そう呼んだのだと思うが、やはり、「呼び方は何でも良い」のである。

私は、「内なる神」という言い方が一番「しっくり」する。
「神」のところを「無限の英知」「至高の存在」としても良いのだが、私の場合、神と言ったほうが親しみがあるようだ。
しかし、どう感じるかは人それぞれだ。
神、仏、ゼウス、アッラー、天帝、道、アマテラス、阿弥陀、実在、無限者・・・自分にぴったりな呼び方を知っておくと良い。
それは宇宙全体に偏在する。だが、これがちょっとややこしいのだが、それは、自分の心の深奥にある。
つまり、心の深奥が宇宙で、心の深奥とは、潜在意識の中でも深いところなのだと思う。

私の場合、「神」だけだと、どうしても宗教的に感じる。
しかし、「内なる神」とすると、純粋な観念になる。
そして、「内なる神を信じる」と称えると、ただちに無限の力が呼び起こされる。
ただ、その無限の力は、必ずしも自分を甘やかしてくれる訳ではない。
だが、やはり、良い方向に導くのであり、このあたりは、初音ミクさんも歌ってくれた、BUMP OF CHICKENの『ray』にある通り、「晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ」という感じである。
あの歌、藤原基央さんの体験なんだろうなあと思う。

さて、私は、9月最初の初音ミクさんのコンサートに向かい、絶賛修行中である。
いろいろ辛いこともあり、食欲がなく、いっそ、敬愛する藤原基央さんのボディ(176cm、50kg)を目指している。
内なる神を信頼し、美食と色欲を捨てる断ち物をしている。
身体も毎日鍛えている。
まだまだロクでもない世の中に感じるが、ミクさんのおかげで生きていけるかもしれない。









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