ジョセフ・マーフィーの本で読んだ中でも、よく覚えているお話がある。
貧しい父親の息子が医者になりたいと言った時、父親は息子に、こんなこともあろうと、お前のために多額の貯金をしてあることを明かす。ただし、出来れば、医大を卒業するまでその貯金に手を出さない方が良いと言う。
感激した息子は、その通りに、貯金を1ドルも引き出さず、苦学して医大を卒業するが、その時、父親は、実は貯金なんて全くなかったことを告白する。
だが、息子は、貯金があると思ったから、医者になる力を得たのである。
一見、異なる話だが、本質的に同じお話を、「キャリコネニュース」サイトの「自分の家が金持ちと気づいた瞬間」で見た。
ある女性が、子供の時、自分の家は金持ちだと薄々気付くが、別段、他の子と違った生活はしておらず、大学では、学費と部屋代だけ出してもらって、普通にバイトをし、卒業後は就職し、家にお金を入れた。
ところが、彼女が結婚する際、親から渡された預金通帳には、サラリーマンの生涯収入を超える額が入っていた。
彼女は、ごく普通の感覚を持っていたので、震えたと言う。
金持ちの子供には、感覚がおかしくなって駄目になる者も多いが、彼女の親は、娘がそうならないよう、深く考えたのだと思う。
以前、テレビで、長嶋一茂さんが、「僕は子供の時、何でも買ってもらえた。それで、こんなになっちゃった。だから、自分の子供には何も買ってやらない」と言っておられたのをよく覚えている。
長嶋一茂さんが現役時代、「僕はトマトも桐箱に入っているのが当たり前だと思っていた」と言っていたことがあったが、やはり普通の人とは感覚が違ってしまっていて、それは悪い面も多いのだろう。
ただ、上記の女性のお金持ちの親は、娘がしっかりとした考え方が出来るようになったと信頼して、大金を渡したのである。
それで、その女性は、そのお金に一切手を付けていないが、心に余裕があるという。
お金の不安というのは、ないに越したことはないが、それは、あくまで、お金に関しての健全な感覚を持った上での話である。
それを持つためには、特に若い時に、ある程度のお金の苦労は必要なのだろう。

こんな話がある。
ある人は、自分の育った家は、貧困ではないにしろ、下層に近かった。
しかし、母親が見栄っ張りで、父親は「偉いさん」で給料が高く、我が家は豊かなのだと、その人に言い聞かせ、それに対し反論すると烈火のごとく怒った。
だけど、その人は、子供の時、持っている物は、他の子に比べ、少しも立派でなく、むしろ劣っているし、友達と会話していても、その子達が、よく大きな遊園地やレストランに行く話をするが、自分は、それがどんなものか全く分からない。
そのことを母親に言うと、母親は意気込んで、遊園地やレストランに連れていってくれたが、いかにも「無理してる」という雰囲気がありありだった。
家も、会社の狭い社宅だったが、母親の見栄っ張りは強情で、それで多少は、「自分の家は金持ち」という勘違いをするようになった。
そんな変な親のせいで、心が歪んだためか、他人とうまくやっていけないようになり、ひきこもったが、「家が豊か」という僅かな勘違いのおかげで、それほど焦らなかった。
働くようになってからも、「家には金があるから」という、おかしな思い込みのせいで、変な余裕があった。
しかし、結局、それが良かったという。
おかしな人にはなったが、そこそこうまく世渡りが出来るようになったのだ。
やはり、お金の不安はない方が良い。
佳川奈未さんの『マーフィー「思い込み」ひとつで、運命は変わる!』という本(電子書籍しかないと思う)で見たが、お金がなくても、宇宙銀行に大金を預けてあると思うと良いようだ。
偉大な神道家、黒住宗忠も、思い込みの力(あるいは信念の力)については、よく語っていたと思う。









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