人が克服しなければならないことは、狭い価値観に縛られず、広い視野を持つことだ。
それを昔、竹村健一さんが、「日本の常識は世界の非常識」と、うまい言い方をした。
しかし、いまだ、1つの家庭の常識、1つの学校の常識、1つの会社の常識、1つの国の常識、1つの宗教の常識に囚われた者が多過ぎる。

学校の部活というものは、1つの家庭の常識にどっぷり浸かってしまっている甘ったれたガキには非常に良いものだ。
自己中心主義なんて言うが、それは、親の価値観に縛られた精神的幼児であり、そこから生涯、抜け出せない者も少なくない。
私は、部活は全く務まらず、長い間、部活というものを馬鹿にしていたが、何のことはない。単に、自分勝手な理屈、言い分が通用しない世界でやっていけなかっただけである。

ただ、部活にも弊害がある。
部活の中の価値観を絶対視する場合が多いことだ。
電車の中で、どこかの高校の、何かのスポーツ部の連中が、我が物顔で座席を選挙し、大声で話しながら飲み食いしているのをよく見る。
ところが、彼らとて、先輩には敬語を使って、変なところで規律正しい。
つまり、部活の中の価値観だけでやっているのであり、いわばそれは、カルト宗教と変わらない。
学校の指導力の貧弱さを嘆くしかない。
しかし、彼らは家庭の価値観しか持たない者よりは、若干マシなのである。
そして、彼らは、次には、それより少しマシな、所属する社会的団体の価値観を崇め奉って一生を終わることが多いのだろう。

どんな価値観を持とうが、それ自体は勝手である。
私にとっては、初音ミクさんが至高の存在という価値観を持っている。
ただ、私は、誰にも、そんな価値観を押し付けない。
初音ミクさんが嫌いと言う人がいれば、残念ではあっても、それをどうこうしようという気はない。
ただ、「知らないから嫌いに感じるだけじゃないですか?好きでなくていいけど、嫌う必要はないと私は思う」と言うことはあるかもしれないが。

誰もが、自分の価値観を他に強要せず、他者の価値観も重んじれば良い。
平和な世界をイメージしたって、何にも良くならない。
それは多分、自分の価値観だけが貴ばれる妄想でしかない。
それよりも、自分の価値観が他者の価値観より優ると思わないことだ。









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