ジョージ・ワシントンは子供の時、ちょっとした事故に遭った際に、大人に「大丈夫か?」と聞かれると、「将来、アメリカを救う英雄になる僕が、このくらいのことで怪我なんかしない」と応えたという話がある。
もちろん、この手の話は風説(うわさ)の可能性があるが、私は、絶対に作り話だと思う。
もし、これが本当の話だとすれば、それは、ワシントンの愚かで悔恨に満ちた前半生を暗示するものだろう。
英雄であれば、そんな時、「ああ、良かった」と思うものである。

外国の話だが、ある人が電車に乗っている時、トイレに行ったが、使用中だったので、別の車両のトイレに行った。
ところが、その時、電車は空爆を受け、彼が元いた車両が爆撃された。
彼がいた車両のトイレが使用中でなかったら、彼は用を足しながら死んでいたことだろう。
彼は、自分が助かったのはただの偶然と思った。
だが、彼は、ビル・ゲイツのような大富豪、ネイマールのようなサッカーのスーパースターに優る成功者である。
死すべき状況を切り抜け生きているのだから。
ところが彼は、自分が生き残れたのは「たまたま」だと言う。
彼こそ英雄である。
明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と思っているらしいが、もしそうであるなら、彼も英雄だ。

本当はどう思っているのかは知らないが、ドワンゴの川上量生会長は、著書とかインタビューで、自分が成功したのはたまたまで、本来、自分は最も成功しないタイプの人間だと述べているが、全面的かどうかはともかく、多分、彼は本当にそう思っているのだろう。
私の身近な成功者も、一度、雑談の際に、「俺がうまくいったのは、たまたまタイミングが良かっただけだ」と言っていたのを、よく覚えている。

本当は誰だって、恐るべき成功者である。
川上量生さんは以前ブログで、ひきこもりが社会の最下層にでも入れてもらえたら自分以上の快挙と書かれていたが、それなら、私も成功者だ。
だが、「たまたま」と考えるのはちょっと恐ろしい。
それほど「たまたま」だったからだ。
しかし、これからは認めよう。
人間、生きている限り失敗はしていない。

『灼眼のシャナ』で、フレイムヘイズという超人になったばかりのシャナ(当時は名無しの少女)が初めて戦ったのは、敵からも味方からも恐れられる、最強最悪の怪物、天目一個だった。
勝ったシャナに、師でもあるアラストールは、そのあまりに危険な戦い方に、「無茶をするやつだ」と嗜(たしな)める。
するとシャナは、勝ち誇るでもなく、「たまたまうまくいったのは分かっている」と静かに応える。
そうでもなければ勝てない相手だった。
だが、敗れた天目一個は、この世のものでない存在となってからも、シャナを敬っていたのである。









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