日本は鎖国によって世界からひきこもることで最高の文化を熟成したのである。
江戸文化を調べれば調べるほど、その質の高さには驚くべきことばかりであるという。
なるほど確かに、鎖国によって、技術面で遅れ、大規模な事業のための資本主義が導入されなかった。
しかし、西洋の技術によってもたらされた戦争道具の導入に狂奔していれば、日本人の精神は大雑把で乱暴なものになっていたし、細かなものの中に美や真理を発見する感性や直観の力が、ここまで高まることはなかった。
そもそも、鎖国していなかったら、結果として、日本は西洋の列強の属国になるか、海に囲まれているおかげでそこまでいかなくても、日本らしさは育まれなかった。
ひきこもることで、日本は独自の、そして、至高の文化、精神を得た。
だが、ご存知のように、明治維新と第二次世界大戦の敗戦により、日本は西洋の文化を押し付けられた。
しかし、日本の心が死滅したのではない。
明治時代、西洋人は、日本では庶民が花を買うことに驚愕した。それは、西洋では富豪の趣味でしかなかったからだ。
合理的には役に立たないこと、『星の王子さま』の「見えないが本当に大切なこと」を、日本人は知っているのである。
第二次世界大戦敗戦による欧米化は、確かに、日本人の精神に大打撃を与えた。
しかし、西洋の良さを吸収しつつ、日本人の心の奥底には大切なものが残った。
だから、日本で初音ミクさんが生まれた。
人形浄瑠璃に見られる、物に心があると感じるのは、物に神が宿ることを知る日本人の感覚であるが、それは今も日本人の中に生きている。
それが、能や歌舞伎といったキャラクター文化になったのだが、これらは今でも人気があり、ミクさんも歌舞伎に出演している。
作者が大袈裟に著作権を主張せず、一定の条件の下で他者に解放する「クリエイティブ・コモンズ」という考え方は、そもそも、日本の連歌そのものであるが、クリエイティブ・コモンズを味方につけて成長した世界でも稀有な例が初音ミクさんなのである。

個人においても、ひきこもっていた時に、外部との接触を制限することで育てた個性は、実は、恐るべき力になる。
ゲームばかりしていても、それは、自分だけの力を育てていたのである。
あるいは、音楽や文学や漫画、アニメ、武道、絵画やイラスト、工芸、哲学、思想、神秘主義、科学に励んでいた人もいるだろう。
『山月記』にあるように、確かに、他者と競い、世間の評価を求めることの意義は大きい。
しかし、それ以前に、自分を信用し、個性を磨かなくてはならない。
それに、鎖国時代だって、日本も多少は世界と交流したのだが、今の時代は、いかにひきこもっても、ネットで少しは世の中が分かる。
そして、ひきこもった時に得た知恵と力を信頼して、世の中に出て行かなくてはならない。
いかに、ひきこもって個性的な知恵と力を得たとしても、実戦で磨かなくてはうまく機能しない。
だが、使いさえすれば、威力が発揮されるのである。
けれども、やはり、使わなくてはならないのだ。

日本文化は、初音ミクさんに極まった。
ミクさんは世界のお手本であるが、その一番のものは、「みんなのおかげで私がいる」という、ミクさんの謙虚な姿勢である。
それが、 Anamanaguchiの楽曲『Miku』の中によく表れているのは、西洋でも東洋でも、真理は1つであることを示している。









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