宮本武蔵は、道場で剣を学んだことはあったのだろうが、戦や決闘といった実戦で強くなったのは疑いない。
彼が、ずっと道場で修業していられる身分だったら、さしたる剣士にはならなかっただろう。
『荘子』にも、ある特別な人間がいて、「なぜそのようになれたのか?」と聞いたら、「まずは本を読んだ」と言う。何度も繰り返し読んだと。
しかし、それを実戦で試したと言う。

力士がデビュー戦でいきなり横綱、大関と対戦したりしないように、人間の人生における戦いの場でも、何者かが(神か神の配下)ちゃんとマネージメントしていて、力量に見合った相手しか現れないものである。
たとえ桁外れに強く見えても、戦いを避けられないなら、勝てる相手なのだろう。
ひきこもってゲームばかりしていても、ゲームから戦い方を学んだはずである。
それを社会の実戦の場で試せば良いだけだ。
よくは分からないが、ドワンゴの川上量生会長(カドカワの社長)も、ゲームが経営に役に立ったといったことはよく言われていると思う。
もっとも、彼の場合、デジタルゲームとボードゲーム(将棋やチェスなど)の両方から学んだようだ。

ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という有名な本があるが、タイトルから見る限り(私は読んでいない)、幼稚園の砂場で何か人生の秘訣のようなものを学んだのだろうが、やはりそれを社会で試したので、力を得たのだろう。
もちろん、学び方はいろいろで、人それぞれであり、誰もが幼稚園の砂場で学ぶ必要はない。
ひきこもりはゲームや本(たとえラノベや漫画でも)などから学ぶだろう。

初めて車を買ったら、用がなくても運転したくて仕方がないものだ。
また、喩えは悪いが、光線銃を持てば、戦いたくて仕方がなくなるだろう。
幼稚園の砂場や、ゲームや本、その他、自分が手に入れた知恵という光線銃を持って戦いの場に赴かなくてはならない。
その意味、どんな積極的、外交的な人間でも、ひきこもって学ぶ期間は必要である。
だから、ひきこもりは、最初から勝ったようなものである。









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