私は高校生の時、ディケンズの『クリスマス・キャロル』が好きだった。
ご存知かもしれないが、利己主義で守銭奴の初老の男スクルージが、クリスマスに超常体験をする。
その(超常体験の)ハイライトは、7年前に死んだ、スクルージの共同経営者で、スクルージと同タイプの人間であったマーレイが、おぞましくも惨めな霊となった姿をスクルージに晒し、「このままでは、お前もこうなる」と警告し、さらに、哀れに孤独死して放置された自分の醜悪な死体を見せられる。
それで、スクルージは心を入れ替え、愛想の良い善人に生まれ変わる。
めでたし、めでたし・・・

んな、アホな・・・と思わないだろうか?
私はスクルージよりまだ悪いが(彼は少なくとも経営者で、死して自分を思ってくれるマーレイという友人がいた)、このままだと、スクルージ以下の「悲惨な未来」になると分かったところで、こう言うしかない。
「だから何なんだ?そりゃ、そんな未来は嫌だが、私は私だ。私以外のものになんかなれないさ」
誰だってそうだと思う。
そもそも、身から出たサビでしかない不幸を避けるために、わざとらしく他人に親切にするなんて、浅ましいことじゃないか?
そんなことで幸福になれるとは、とても思えない。

だが、元Googleの技術者チャディー・メン・タンは、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』で、こう書いている。
スクルージは、EQ(情動的知性)を高めたのだ。それで、自分を客観視出来るようになった。
いや、自分を客観視したから、EQが高まった・・・のだと私は思うが、タンもそう書いていたのかな?
タンの言い分もややこしいのだ。

大切なことは、スクルージは悩んでいなかったということだ。
いや、本当は、ストレスで心が傷付いていたに違いないのだが、それは描かれていなかったし、スクルージも自覚していなかった。
だが、クリスマスの精霊達は、スクルージにちょっかいを出し、彼の心を揺らがせた。
その時、彼はやっと、自分を客観視したのだろう。
だけど、そんなことで人間は変化したりしない。
タンの言うところのEQの向上なんて起こらない。

とはいえ、大なり小なりスクルージな我々は、

でもどうして 僕達の 胸元の 塊は
消えたいって言うんだ 死にたいって言うんだ
~『ロストワンの号哭』(作詞・作曲・編曲:Neru。歌:鏡音リン)より~

って感じのはずなんだ。つまり、鬱々として満たされない、辛い日々を送っているに違いないのだ。
これが進むと、「リア充爆発しろ」「地球も爆発しろ」と思うようになる。
しかしまあ、心配はいらない。
神を信用しろ。
だが、駱駝はつないでおけ。
駱駝は、毎日、かならずつないでおくものだ。
それと同じようなことを、何かすれば良い。
何もないなら、自分の呼吸を常に意識することだ。









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