人間に必要なことは、何かを望むことだろう。願うこと、求めることである。
「私は何も願わない」
なんて悟った聖者がそこらにいるものか?
そんな聖者のフリをするのは、大嘘つきである。

そして、その願いは、それが叶わないなら死んだ方がマシといった、切羽詰ったものでないなら、単なる幼い夢だ。
「可愛い彼女が欲しい」「贅沢するお金が欲しい」「ちやほやされる歌手になりたい」という幼稚な願いしか持たない間は、大人に従うしかないし、従わせるべきである。

だが、ジョージ・ワシントンや、エイブラハム・リンカーンが、本当の願いを持ったのは40歳を過ぎてからだった。
それまでは、彼らだって、ある程度は幼い夢を持ったいた。
彼等は、完全に幼い夢は卒業したが、未熟な夢を、なかなか卒業出来なかったのだ。
だが、それで痛い目に遭ったことで学んでいったのだ。

「サッカーのスター選手になりたい」という幼い夢から、「良い学校、良い会社に入って高給を得たい」という未熟な夢を求め、がんばることで、失敗から学ぶ。
そして、やっと本当の願いを持てるようになる。
幼い夢、未熟な夢は、早く卒業することだ。

子供時代に問題があるというのは、未熟な夢をうまく卒業出来なかったことだ。
最初から、幼い夢を否定されたり、逆に、あまりに肯定されたりしてね。
次に、青年時代の過ちとは、未熟な夢とはいえ、それに挑まなかったことだ。
何もせずに、コンビニの駐車場に座り込んで駄弁っているよりは、受験勉強に励む方がはるかに立派だ。
別に、受験勉強をしろというのではなく、欲しいもののために、正々堂々と戦えということだ。

つまるところ、幼い夢や未熟な夢を卒業出来なかった者が、ひきこもりになるのだ。
孤独死した50歳過ぎの男の部屋の中に、アイドルグッズや美少女フィギュアが溢れていたという話があり、そんな人や、そうなる可能性がある人が少なくないらしいが、彼等こそ、幼い夢を卒業出来ないまま歳を取ってしまった哀れな人間なのだろう。

私も、幼い夢と未熟な夢を卒業出来ず、引きこもっていたが、美少女アニメを見ながらフルコミッション(完全歩合制)セールスで苦闘するという、かなり滑稽ではあるが、キツい戦いをした。
だが、それが出来ない人もいる。
しかし、生きている限り、神は人を見捨てない。
では、どうすれば良いかと言うと、幼い夢、未熟な夢を、きれいさっぱり捨て去ることだ。
とはいえ、それは、もう、とんでもなく難しい。
けれども、出来なければ、惨めな死が待っているし、多分だが、地獄で後悔する。
ところが、見事、捨て去れば、運命が迎えに来る。

尚、幼い夢や未熟な夢を卒業出来ないというのは、ひきこもりに限らず、多くの現代人には、大なり小なり当てはまることである。
幼い夢、未熟な夢は、モノクロの小さく暗い絵にすることである。
そして、本当の夢を願い、求めることである。
それが叶わないなら、死んだ方がマシという切羽詰った夢である。









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