スーフィー(イスラム教神秘派)の格言、
「神を信用しろ。だが、駱駝(らくだ)はつないでおけ」
という言葉に、私は、現実的でありながら深い英知を感じるが、これが本当はどんな意味なのかは私は知らない。
普通に考えれば、イエスが言った通り、神は親以上に我々一人一人を気遣っておられるのだから、何も心配する必要はない。
しかし、だからといって、驢馬をつなぎもせずに、「神様が見ていて下さるだろう」と思ってはならない。
自分でつないでおけば済むようなことまで、神を頼ってはいけない。
つまり、人間は怠惰であってはならない。
私は、そんな単純な意味に捉えている。
そして、世の中には、驢馬をつながない人だらけであることが分かる。
しかも、彼等は神を信用していないのだ。

人によって、驢馬をつなぐという意味は異なる。
ある人にとっては、仕事を一生懸命にやることだろう。そうすれば、豊かな生活は神様が保証して下さる。
ある人にとっては、トイレのスリッパをきちんと揃えて出ることだ。そうすれば、神様は平穏な暮らしを下さるだろう。
作家の村上春樹さんにとっては、作家になる前の若い頃、原稿用紙1日10枚をノルマに文章を書いたことかもしれない。それで、神様は人気作家にして下さった。
あるエッセイストは、会社をやめ、相談業(カウンセラーのようなものか)の看板を上げたが、客は全く来なかった。しかし、毎日、原稿用紙1枚をノルマに何か書いていたら、村上さんのような大作家とはいかないが、本を20~30冊以上は出す人気エッセイストになった。

つまり、志あって自分で義務、あるいは、掟として定めたことであれば何でも良いのであると思う。

ヴァーノン・ハワードは、自分の心を冷徹な科学者のように観察しろと言った。それでどうなるかは言わなかったが、これは、今話題のマインドフルネスと同じであり、効果は、まず、感情の支配、自信、直観力の獲得だが、これらが得られれば全て得られる。
マインドフルネスに関しては、元Googleのチャディー・メン・タンの本が分かり易い。
ちなみに、日本マインドフルネス学会によるマインドフルネスの定義は、
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」
であるが、熟慮された優れた定義と思う。
◆JAM 日本マインドフルネス学会 公式サイト

ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと言ったらしい。
だが、インドの聖者の言葉というのは、インドの方言から英語、英語から日本語に訳したものであり、なかなか掴みどころがないかもしれない。
しかし、「私は存在する」という感覚を意識するというのは分かると思う。
それは、身体については、感覚を意識することだし、心においては、意識に気付くことである。
もし、それが出来るなら、最上のマインドフルネスであると思う。

ラマナ・マハルシは、常に自分に「私」と呼びかけろと教えたことがあったらしい。
これは、どういうことかと考えてみたが、私の解釈では、「私」という言葉を心で真摯に発した時の、心の反応を観察せよということだ。
一般には、マハルシは「私は誰か?」と、常に自分に問えと言ったとされる。
一方で、マハルシは、「私は誰か」を呪文にしてはいけないと言ったという記述もある。
これを私は、やはり、「私は誰か?」と真摯に自分に問うた時の、心の反応を観察せよということと理解した。

最も簡単には、自分の呼吸を「マインドフルネスする」ことだ。
それで何かが起こるのを感じることはないかもしれない。
だから、刺激的でなく、面白くないと最初は感じるかもしれないが、変化は自然にさり気なく起こっている。









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