宇宙全体を覆う意思というものは、おそらくあるのだろう。
それに気付いた人が、それを神と呼び、論理意的にそんなものが存在すると考えることが出来た人の中には、それを万能の宇宙コンピューターのように喩えた人もいる。
古来からの風習に従って神と呼ぶと、神の力は計り知れないながら、神は我々と離れたものではない。
むしろ、賢い人達は、神は手足よりも近い存在だと言った。
つまり、神と人間は一体である。
それは物理的関係で解釈することは出来ない。その理由は、人間の脳は、それを理解するには能力が足りないのだろう。

神と一体である我々に不可能はないが、単に神にまかせれば良い訳ではない。
いかにレベルの差があるとはいえ、人間は神のパートナーであり、パートナーである限りは、恩恵も与えられるが、責任もある。

仏教に、竹林の火事を消そうとした一羽のオウムの話がある。
竹林が火事になった時、長年棲家を与えてくれた竹林への恩と、竹林に棲む他の生き物達のため、オウムは池に飛び込み、身体を濡らして大火の上で羽ばたいて水をかけて、火を消そうとする。
オウムは来世までかかるとしても、やり抜く決意だった。
それを見て、神は手を貸すが、あくまで、オウムがパートナーに相応しいことをしたので、神は、年長の力あるパートナーとしての役割を果たしたのである。

このようなことを、スーフィー(イスラム教神秘主義)では、
「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
と、とても分かり易く言っている。

ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版は『努力嫌いの成功法』)には、こんな話がある。
戦争中、部隊からはぐれた兵士は、部隊に戻る術がなかったが、彼は子供の時、森で迷ったことを思い出した。
少年だった彼は、森の中を歩いていたら、釣りをしている男に出会い、森から出る道を教えてもらうと、安心してそれに従い、森から出ることが出来た。
彼は、森から出られるのは当然という態度でいたのだ。
彼は、その時のことを思い出し、舞台に戻れて当然という態度で歩いていると、やがて部隊に出会い、親切に迎えられた。
彼がいかに神に祈っても、絶望してしゃがみ込んでいたら、野垂れ死にしていたかもしれない。
彼は、神を信用したが、駱駝はつないでおいた・・・つまり、顔を上げて歩くくらいのことはしたのだ。


恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
奇跡は起きる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M。歌:初音ミク)より~


村上春樹さんは、作家になる前の若い時、1日原稿用紙10枚をノルマに必ず文章を書いたそうだ。
村上さんにとって、それが「駱駝をつなぐ」ことだったが、何かを信じていなければ出来ないことだったはずだ。









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