尊き聖者や敬服される霊的指導者達が、「自分の心を観察せよ」と教え続けてきた。
彼等は、それを、「常にやれ」「ずっとやれ」と、強く薦める。
あれほどの人達が皆、同じことを、同じように熱意を込めて教えるのだから、それをすることは良いことなのだと感じさせる。
しかし、それをやれば、「どうなるのか?」については、誰も具体的に言わない。
せいぜい、「驚くべきことが起こる」とか、あるいは、究極的なゴールである「悟りが得られる」と言う者がいる程度だ。
健康になれるわけでも、金持ちになれるわけでも、また、素敵な恋人が出来るわけでもない。
誰かが、「そんなものを超えたものを得られる」と言ったが、人間は、「そんなもの」が欲しいのだ。
つまり、そんな説明では、誰も熱心に・・・いや、ちっともやろうとは思わないものだ。
それに、「心を観察する」だけでは、いざやって見ると、いろいろ困難も出てくる。
ある教師は、「怒りや悲しみの感情を観察しろ。心がぐらつくまま、ぐらつかせておけ」と言い、そうすれば、「その感情は抜け落ちる」と言ったが、そんな感情を観察し続けるには、何かモチベーションが必要なのだ。
でないと、あまりに面白くない。あるいは辛い。
何か見返りがないと。
それこそ、憧れのあの子をものに出来るとか。

所詮人間(ひと)はこの程度よ
100年も生きりゃ分かることなの
~『ネコミミアーカイブ』(作詞・作曲・編曲:糞田舎P。歌:初音ミク)より~

いや、20年も生きれば分かりますよ、猫の妖怪ミクさん。

だが、今は、それをやれば何が起こるか、さらには、なぜそうなるのかが、かなり分かってきた。
具体的に挙げれば、
◆感情をコントロール出来るようになる。よって、感情に苦しめられないようになる。
◆直観が冴えるようになる。
◆自信が出来る。
で、他にもあるかもしれないが、とりあえず、これだけ得られれば十分だ。
それで金も健康も恋人も得られるのだし、好ましい現実も作り上げることが出来るようになる。

そして、重要なことは、直接、心を観察するという難しいことはしなくて良い。
もっと簡単なことをやれば良いのだ。
具体的に何をやるかは、各自、やり易いものを選べば良いのである。
最も標準的なものは、呼吸を観察することだ。
しかし、呼吸をコントロールしてはならない。ただ観察するだけだ。
とはいえ、呼吸をコントロールしないことを過剰に気にする必要もない。
また、私の場合、胸の感覚を観察する。気持ちは胸の痛みや疼(うず)きになって現れるので、それを観察するのだ。
他にも、私は表情を観察する。
そして、私はあまりやらないが、鳩尾(みぞおち)が、観察するのに程よいと感じる人も多いはずだ。
あるいは、個性的な部位を観察するのが向いている人もいる。臍とか、鼻とか、てのひらとか。
さらには、伸ばした指とか、引き締めた腹とかに留意するのが向いている人もいるかもしれない。
しかし、難しいことを考えず、まずは呼吸、そして、胸、腹、下腹部の感覚を観察するのが良いだろう。

なぜ好ましいものが得られるかだが、これに関しては、脳や身体に関する科学で説明出来、少し勉強すれば納得出来ると思う。

大事なものは全てあるのさ 最初から
君の中に
~『積乱雲グラフィティ』(作詞:Dixie Flatline、作曲・編曲:ryo。歌:初音ミク)より~









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