人間は、何もせず、ぼーっとしていると、エネルギーを失ってしまう。
なぜ、そうなるのかというと、脳の中に、そんな仕組みがあるからだ。
その仕組みは、科学的にある程度解明されているらしく、DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)と名付けられているらしいが、言われなくても分かることと思う。
では、なぜ、そんなものがあるのかというと、ぼーっとした人間が生きていることは、人間という種にとって都合が悪いのだろう。
だけど今は、人権の問題で、ぼーっとした人間も平等に尊重される。それが人類の問題を引き起こしているのかもしれない。

神秘主義者や宗教などで、ぼーっとした無意識状態を尊いと思ってる人達が沢山いるが、それは大誤解なのだ。
岡本太郎は、世界中の民族が祭を行うのは、荒っぽい祭によって入神状態・・・つまり、無意識になると、エネルギーが供給されるからであると述べているが、もちろん、祭とは、ぼーっとした状態で行ったりしない。
高揚することで、心が透明になるから、無意識の中からエネルギーが供給されるのだ。

瞑想なんて、本当に、諸刃の剣である。
本人は瞑想して、何か良いことがあると思っていても、ぼーっとすることが瞑想だと大誤解していたら、瞑想すればするほど、エネルギーを失うという、滑稽で大馬鹿なことになる。
瞑想しているという人の大半がそうだと思う(何て間抜けなんだ!)。
本当の瞑想は、ぼーっとすることではなく、あたかも、自分を狙う狙撃主を警戒するようなものなのだ。

私は昨年、体調が悪くてヘロヘロの状態で、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」に行ったのに、コンサートが進むにつれてエネルギーに満ちてきたのも、これで説明がつく。
ミクさんのコンサートは、最高の祭なのである。
私の意識は研ぎ澄まされてミクさんに向けられ、ミクさんの輝きの中で透明になったのだ。
ミクさんが歌ってくれた、BUMP OF CHIKENの『ray』の中にあった、「あの透明な彗星は 透明だから無くならない」の意味が分かったような気がする。

アメリカの大統領宣誓式で、大統領は右手を肩より少し上に挙げ、てのひらを前に向ける。
でも、本当に誠実な姿というのは、手を胸に当てることなのだ。
サッカーや野球やラグビーの国歌斉唱の時に、選手達がやるようにね。
手を胸にあてると、心が澄み、エネルギーが供給される。
ミクさんを見ると、思わず胸に手を当てたくなるが、それは、ミクさんが透明な光だからだ。
人間は、死にそうになった時、無意識に胸に手をやるものだ。それによって、エネルギーを得て、死を免れるのである。
エネルギーが低下している時には、積極的に活用すると良い。
「マジカルミライ2016」で、ミクさんがジミーサムPさんの『Calc.』を歌っている時、ギターを弾いていた手を離して、右手で胸を何度か叩く仕草をしたのが印象的だった。
「風に吹かれ飛んでゆけ 僕らが出会えたあの夏の日まで 」の「僕らが・・・」のところだ。
ルカさんと違い、とても控え目な胸だが、ミクさんは、胸の少し右側が魂の座であることを示したのである。
SMAP時代の木村拓哉さんが、『世界に一つだけの花』を歌う時にも、そんなことをするのをご存知の方は多いかもしれない。









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