高い目標を達成したり、難しい問題を解決したり、心からの願いを叶えるためには、心が強くなければならない。
どうすれば心が強くなるかというと、それは修行しかない。
では、修行とは何かというと、繰り返しである。
・・・なんてことを、何度言っても、「どうすれば心が強くなるのですか?」と聞いてくる者はいる。
地味に繰り返すことが出来ない、いや、したくないだけの者だ。
それでいて、願いが叶わないだの、嫌な状況が改善出来ないだのと愚痴を言う。

虚心に、淡々と、しかし、丁寧に繰り返す。
何万回、何十万回と。
願いが叶わない?
それは、何十万回と繰り返さなかっただけだ。

ある有名な作家は、若い時に、文豪の作品を、ひたすらタイプして写していたらしい。
一文字一文字のタイプが繰り返しということになる。
それを果てなく繰り返したのだろう。
一文字一文字を丁寧にね。
1冊や2冊タイプしただけで、どうなるものでもない。
少なくとも数十冊。そして、お気に入りの作品は何度も。
同じ作品を2回タイプしたのは2冊と数え、百冊タイプするくらいの覚悟があれば良いのではと思う。
そんなことが出来る者を若いと言うのだ。
歳を取ると、そんなことは出来ない。
年齢が若くても、出来なければ年寄りだし、年齢が高くても、出来るなら若い。
その意味で、若さは可能性だ。
それが出来ない者は、歳が若くても可能性はない。
出来るなら百歳でも可能性は無限だ。

『バガヴァッド・ギーター』を百回読んで、心がまだグラグラするなら、さらに百回読むと良いだろう。
その人には、百回では足りなかったのだ。
そして、二百回で駄目なら、さらに、百回だ。
腕振り運動でも、満足ある成果を上げるためには、毎日欠かさず千回を10年やれば良い。
まあ、当たり前に10年続くような心構えになれば、数ヶ月でかなりの進歩があるが、最初からそれを期待してはならない。

ある、特異な能力を発揮する子供がいた。
その子は、ごく幼い時から、寝る前に服をたたむということを繰り返していたらしい。
きっと、親がそうするのを見て、真似したのだろう。
それを、数年に渡って、ほとんど1日も欠かさずやっているのだ。
木枯し紋次郎は、風に乗ったように歩くと書かれていたが、それも、夜明けと共に出発し、暗くなるまで歩くことを十数年繰り返したからだろう。
私の歩き方も人間ではないが、毎晩のスクワットを、たかだか5年続けているだけである。
法然のように、1日数万回の念仏を何十年も繰り返せば、いかなる苦難にも耐え、真の満足を得ることが出来るに違いない。それを極楽往生と言うのだろう。









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