アンデルセンの『みにくいアヒルの子』ほど、現代の世界に悪い影響を与えたお話は、そうはない。
あのお話のおかげで、沢山の凡人達が、自分は本当は白鳥で、いつか、輝かしい大したものになると思い込んでしまった。
君もそうではないかな?
ちなみに、私はそうだ。

そして、『みにくいアヒルの子』の最たる被害者の例が、私の職場にいる、30歳過ぎの人生の落伍者、派遣の雑用係である、まるで駄目男君だ。
彼は、30をとおに過ぎた今も、自分は、本当は白鳥だと思い込んでいる。
アヒルにも劣るボウフラなのにね。
彼だって、自分がボウフラだと自覚すれば、蚊にならなれるかもしれないのに。

そりゃ、アンデルセンは天才で、白鳥だった。
しかし、生まれた家が貧しかったせいで、凡人の中でいじめられ、辛い目に遭った。
だけど、勇気を出して行動し(14歳で故郷の村と母親を捨て、単身、コペンハーゲンに出た)、頑張り続け、ついに白鳥になれた。
なるほど、『みにくいアヒルの子』は、アンデルセン自身のお話として感動的だ。
だが、天才なんて滅多にいないのだ。
メンサなら上位2パーセントの知能指数があれば入れるが(脳科学者の中野信子氏によれば、テストの練習をすれば誰でも入れるらしい)、天才ってのは、多く見積もっても万人に一人・・・つまり、0.001パーセントだろう(それでも、日本に一万人の天才がいるという、あり得ない話になる)。

サラリーマン生活がすっかり身についた、若者達が蔑む40代、50代のオッサン達だって、頑張らなかったわけではないのだ。
持って生まれた才能が、その程度しかないのだ。
そりゃ、超人的な努力をしたとは言えないかもしれないが、皆、涙ぐましい努力はしたし、しているのだ。
そして、超人的な努力が出来るのは、自分がやっていることに、現実的な可能性を感じる天才だけなのだ。
これで分かるだろう。
「子供達には無限の可能性がある」なんてのは、大嘘、もしくは、幻想なのである。

ソクラテスは、本当の知恵ってのは、神の霊感のようなものだと言ったと思う。
シラーの詩を元にした、ベートーヴェンの『歓喜に寄せて』でも、そんなことを歌っていると思う。
しかし、高度な神の霊感がやってきても、それを形に出来るのは天才だけなのだ。
ソクラテスも、シラーも、自分が天才だから、そこに考えが至らなかった。
福沢諭吉が、どんな意味で「天は人の上に人をつくらず」と書いたのかは知らないが、才能という意味では、完全に、「天は凡人の上に天才をつくった」のである。

だが、凡人らしい生き方というのも、かなり誤解されている。
凡人の、なけなしの力だって、集中すれば、そこそこのものなのだ。
それを分散させ、弱めてはならない。
自分の力を集中させる方法を学べ。
そうすれば、意外に悠然と生きられるだろう。
だが、まず、自分が白鳥でないと自覚しろ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加