新約聖書に書かれたイエスの有名な言葉、「山に動いて海に入るように命じ、その通りになると信じて疑わないなら、その通りになるであろう」をご存知の方は多いかもしれない。
イエスは、あくまで喩えとして大袈裟なことを言ったのかもしれないが、こんなことを信じることが出来るのは、かなりおかしな人だろう。

どこかの社長さんがテレビで、「切れると思えば切れる」と声を上げてから、名刺で割り箸を切った(折った)が、こんなの、そんなに大騒ぎしなくても、ちょっとしたコツを掴めば誰でもすぐ出来る。

私が小学生の時、たまたまテレビで、洋画のこんなシーンを見た。
幼児と言える年齢の男の子が、マンションの高い階から落ちた自分を天使が支え、自分がにこやかに地上に降り立つことを想像するというものだ。
新約聖書に、神の子が落ちたら、天使が支えてくれるようなことが書かれていることを、その男の子は知っていたのだろうと思う。
しかし、もちろん、現実にはそんなことにならず、例えばマンションの10階から落ちたら、その男の子でも誰でも即死する。
ただ、わが子がマンションの3階の窓から落下するのを見た母親が、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手を超える速さで落下位置に到達し、子供を救ったという話がある。しかし、それは、あくまで「火事場の馬鹿力」で、理性が吹っ飛ぶほどの緊急事態でのみ使える力だが、それでも、そんな力が発揮されることは極めて稀なのだ。

信じることが出来れば、強い力が発揮出来るのだろうが、限度もある。
それでも、かなりの力は発揮される。
しかし、催眠術がうまい人からの他者暗示であれば、効果は一時的な上、それは大抵、力を伸ばすのではなく、力を制限するように働くのだ。
妄想ではない、理性的な強い信念のみが力になるが、それを得るには、忍耐強い試行錯誤や、苦しい失敗を含む経験が必要だ。
だから、勇気のある賢い人は言うのだ。
「我を強くする試練に導け」
と。
結局、冒険だけが人を強くする。
しかし、冒険とは面白いものなのだ。
そして、冒険とは、「何が起こるか分からないから良い」と思うことなのだ。
だから、「なるようになるさ」と気楽に、なりゆきにまかせる者が一番強いのだ。

よって私は、「マジカルミライ2017」のプレミアムチケットは当らなかったが、「なるようになる」と気楽なので、それを埋め合わせる良いことがあるだろう。
気楽になるためには、心の澱みを取り除き、心が自由に流れるようにしなくてはならない。
そのためには、念仏を称えるのが良いが、念仏に抵抗があれば、「私の世界では、私だけが考えている」ことをいつも忘れないことだ。
「私の世界では、私が唯一の考える主体である」
この言葉を覚えておけば、英雄のような信念を持つに至るだろう。









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