アメリカ大統領選挙の、候補者同士の猛烈な中傷合戦には、アメリカ国民にも、うんざりしている人も多いようだ。
とはいえ、やっぱり、相手候補を言葉で貶めることは有効な戦法なのだろう。
他人を、特に敵を誹謗(そしること)しない者が優秀であることを理解出来る年齢はいくつなのだろう?
アメリカに限らず、日本の国会討論なんかを見ても、それは70歳でも難しいという感じだが、本来は、賢い人で10歳、遅くとも、20歳ではないかと思う。
ヒラリー・クリントンや、日本の野党第1党の党首の、口角泡を飛ばすして敵対候補や与党の誰かをこき下ろす時の顔の醜悪さを見れば、この者達は信用ならないと思わないだろうか?
ヒラリーや、野党のその人が悪口を言う時の顔を見て、
「嗚呼、下級悪魔って、こんな顔してるんだろうなあ」
と思うのである。

こんなことを言うと、「お前もヒラリーや蓮舫を中傷しているじゃないか」と言う暇な者もいるが、そりゃ、私は下級悪魔にも及ばないからねえ。
まあ、政治家なら、現状、やむをえないところもあるのかもしれないが(ないと思うが)、宗教家となると、これはもうお話にならないはずだ。
つまり、他の宗教、あるいは、同じ宗教の中の他宗派の教えを執拗に批判するような宗教者や教団は、相手にしない方が良い。
これは絶対に間違いない。
そんなこと(他の悪口を言うこと)をする宗教者は、人格がどうと言う以前に、やっぱり馬鹿なのである。
だって、こっちが争いをしかければ、自分も攻撃され、それを続ける限り、無限の争いになるという理(ことわり)は、よほどの馬鹿でない限り分かるはずだからである。
『歎異抄』でも、念仏の教えを攻撃されても、決してやり返してはならない、賢くかわしなさい・・・といったようなことが書かれている。しかも、こう言っている唯円は、自分は知恵のない愚か者だと言っている。つまり、馬鹿でも、このくらいは出来るはずなのだから、これすら出来ないのは、本当に救いようがない馬鹿で、そんな救いようがない馬鹿の宗教がロクなものであるはずがない・・・という訳である。

優秀でありたければ、忍耐を持って、他を批判することを止めることだ。
愚かな自分が批判しなくても、悪い者は必ず自滅するから放っておけば良いのである。
そもそも、馬鹿にかまうというのは暇なのである。
私も暇で、優秀じゃないが、念仏を称えているので、実入りは大きいのである。
つまり、馬鹿でも、暇でも、低級な何かでも構わないから、念仏を称えれば良い。
すると、暇ではないが、あまりに能力が高いので、余裕たっぷりの阿弥陀如来が、全て面倒見てくれる。

そう遠くなく、人間の脳の1兆の1兆倍の能力を持つコンピューターが角砂糖1個の大きさになるらしい。
その能力とは、100億人の人間が300万年かかって考えることを1秒で考えることが出来るというものだ。
しかし、そんな能力すら、阿弥陀如来(宇宙の叡智といった意味だが)から見れば、宙を舞う1つの埃のように他愛ないものに違いない。









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