幸福な人間、つまり、Satisfaction(満足)を持てる人間になるためには、魂を向上させるしかない。
そして、魂を向上させるたには、仕事で鍛える以外の方法はない。

古代ギリシャで、詩人ユリアヌスは、身体だけ立派で精神は幼稚なオリンピック選手達を見て、
「健全な肉体に健全な精神が宿ればいいのになあ」
と言ったのだが、これが捻じ曲げられて、
「健全な肉体に健全な精神が宿る」
なんてデタラメな言葉になり、しかもそれが無茶苦茶有名になったのは、スポーツ(特にオリンピック)で儲けたい者達の思惑による。

いくら身体を鍛えても、いくら本を読んでも、魂は決して磨かれない。
働くことでしか、それは出来ない。
しかし、泥棒行為や不正行為は仕事とは言わず、そんなことをしていたら、仮に表向きの肩書きが「立派に働いている人」であっても、そんな者達の魂は穢れ、すぐに悲惨な状況に陥る。

しかしなあ。
私、働くの嫌いなんだよ(笑)。
それで、ついつい、いや、大いに怠けるので、いつまで経っても、ちっとも魂が磨かれない。
仕事なんてのは、1人では決して出来ない。
だけど、私は人嫌いなので、仕事も嫌いという訳だ。

とはいえ、実際のところ、みんな仕事は嫌いなのだ。
車が好きってヤツでも、仕事でやるなら、運転だろうが、車を売ることだろうが嫌いなはずなんだ。
それでも、車が好きだったら、運転が上手かったり、車について詳しいことが多いだろうから、せめてそんな利点を生かして、嫌々、運転や自動車のセールスを仕事にするのだ。

私の場合、別にコンピューターが好きな訳ではないのだが、たまたまプログラミングを身につけたので、なりゆきでそれを仕事にしている。
まあ、みんなそんなもんじゃないのかな。

だから、嫌いな仕事で意地になったり、見栄を張らずに、それでいて、無責任にもならずに、うまくやることだ。
そのコツさえ掴めたら、人生、勝ったも同じなのである。
こんな大切なこと、なぜ誰も教えないのかというと、誰も気付かないからだ。
それで皆、嫌いな仕事をしている職場で不毛な争いをしているのだ。
それでは、せっかく仕事をしても、全然とは言わないが、あまり魂が磨かれない。

では、どうすれば良いかというと、念仏を称えることだ。
すると、仕事は勝手に進んでいく。
自分は何もしていないのに、なぜか、「さすがKayさん」と言われる結果になってしまう。
そんなもんだよ。
だから、念仏を称えることだ。
それで、少しずつだが魂は磨かれていく。
仕事も楽になる。

ミルトン・エリクソンなんて魔術師のごとき有能過ぎる精神科医は、仕事を前に意識を失くし、気がついたら、仕事は完璧に仕上がっていたそうだ。
目指すのはそこだよ。
彼は、別に念仏を称えた訳ではないが、実質は同じことをしていたのだ。
だから、我々は念仏を称えれば良いのである。









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