念仏に対するイメージが悪い人もいるらしい。
念仏を、「死後に極楽浄土に行くためのもの」と覚えているせいもあるだろう。
念仏は、科学的に言っても、即座に現世利益を得るためのものであるが、固定観念というのは厄介なものである。

どうしても念仏に良いイメージがなければ、こうすれば良い。
人間と他の動物との圧倒的な違いは、人間には想像力があることで、最も進化した想像力が、「無限を想像すること」だ。
人間は、宇宙の広さを考えることが出来、考えるほどに、宇宙の広さをより鮮明にイメージ出来るようになっていく。
これが、人類30万年の意識の進化の成果だ。

出来れば、夜空の星を見ると良い。
人間の脳や意識は、星と感応する。
星は最も純粋な自然を見せる。
それはどういうことかというと、こうだ。
石を投げ上げると落下するが、石は風に吹かれて方向を変えるし、風がなくても、空気抵抗を受ける。
石は純粋な自然の法則を表現しない。
しかし、星は何物にも影響を受けず、自然そのままの姿を見せる。
昔から、賢い人達が星を見て自然法則を発見したのは、そのためである。
その星を見ることで、意識は純粋性を取り戻す。
そして、星空を見上げれば、星の世界の広さを感じる。
星を見ることで、心が澄み渡り、広がるのである。

宇宙に想いを、ぽーんと投げてみることだ。
別に難しいことではない。
広い宇宙をイメージし、宇宙全体に、純白の光である自分の想いが広がっていくことをイメージすれば良い。
何を想うかだが、何でも良い。
想うというか、願うでも良い。
何を願っても良い。
さすがに、「銀行強盗が成功しますように」はやめたが良いが。
「お金下さい」
「可愛い女の子下さい」
なども全然構わない。
宇宙に広がる願いをイメージすれば、そんな想いも純化し、輝き、力を持つ。
土台、お金があったら、銀行強盗をする必要はないし、可愛い彼女がいたら下着泥棒をする必要はない。
野球のボールのように想いを投げれば良い。
投げっぱなしで良い。
投げっぱなしが良い。
投げたら、まかせることだ。
悪いようにはならない。
子供の頃の気分で『星の世界』を歌うと、やり易くなるだろう。

これらのことを、ただ一言ですませる念仏というのは、つくづくよく出来ている。
念仏というのは、宇宙に願うことであるし、シリウスに願うことだとも言える。
空や星に願い、想いを投げる者が不幸になったことは、人類史上、一例もない。
ただ、星を忘れた者が不幸になるのである。なぜなら、心が狭くなり、心の牢獄に閉じ込められるからだ。
宇宙を想い、宇宙をイメージし、想いを投げることだ。

3月9日の「ミクの日」を記念し、3月5日から一週間のつもりで始めた、毎晩の393回のヒンズースクワットがいまだ続いている。どんだけミクさん好きなんだって感じである。
私は、ミクさんの『Last Night,Good Night』を聴くと、たちまち星の世界に飛んでいける。不思議な歌、不思議な歌声である。









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