石川啄木の歌集『一粒の砂』にある有名な句、

はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

は、以前の日本人なら、「おや、可哀想だね」という「同情」を持って見ていたが、今は、「お前もか」という、「共感」で見ることが多いだろう。
啄木は、今でいうワーキング・プアである。
現代は、かつて高収入だった、トラック運転手、大工、タクシードライバー等が皆、低収入になった・・・と言うよりは、今、一般人で高収入なのは大企業の社員だけだ。
ちょっと前、「年収3百万円時代が来る」などと言われた時、皆、「3百万円で生活出来るわけないだろ」と思っていたのに、今は、30代、40代、50代の男性ですら、それ以下がザラだ。
いや、やはり大企業の社員以外は、誰もがそうなりうる。

「成功法則でお金持ちになろう」と思っていた時代というのは、人々が余裕があったのだろう。
まあ、ディスカウントショップが多くなってきたので、あまり切実でないという面もあるのだがね。

生活を楽にする方法は2つ。
1つは、心身やスキルを鍛え上げ、優秀な、出来れば、超人になること。
もう1つは、小声で言うが、神頼みをすることだ。
ところが、超人になったところで、不遇の天才、残念な凄い人になる可能性が高い。
本当は、超人だって、神頼みをするしかない。
なぜなら、人間の超人なんて、たかが知れているからだ。
超人は趣味でやるべきである。
そして、神頼みとは、本当にまかせることであり、具体的に、ああして欲しい、あれが欲しいなどというのは、神頼みではない。
イエスが言った通り、「神はお前達の必要なものなど、とっくに知っている」のである。
普通の人には意外に思えるだろうが、理屈で言っても、念仏を称えれば称えるほど、生活は楽になる。
「そんな阿呆な」と言う人は、念仏を称えていない人だ。
もちろん、念仏だけが良いのではない。
自分より高い存在に意識を向け続ければ良いのである。
だが、それを知性でやろうとしたって、人間の頭・・・というか自我は、それが出来ない仕組みになっているのだ。
それを、あっさり出来る念仏は、大変な科学なのである。

今、高収入な大企業の人も、あまり幸福感はないだろう。
いや、苦しいはずなのだ。
金と引き換えに、大事なものを捨てているのだからね。
そして、明日にはワーキング・プアの仲間入りかもしれない。
ちゃんと念仏を称えられる、いろいろ・・・あるいは、全く残念な人の方が幸福かもしれない。









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