アニメ『美少女戦士セーラームーン』シリーズで、ヒロインのセーラームーンこと月野うさぎの絶対的信念は、「誰も犠牲にしない」だった。
そんなこと、可能だろうか?
愛は全てを可能にするか?

これは、『銀河鉄道の夜』の、さそりの話を思い出させる。
イタチに追いかけられたさそりは逃げ、共に井戸に落ちてしまう。
さそりは、自分が逃げずに、大人しく食べられていたら、イタチを殺さずに済んだのにと後悔する。
その想いのために、さそりは星にでもなったんだっけ?
私は、このお話が大嫌いだ。

アニメ『まほろまてぃっく』では、完璧な心を持つアンドロイド、まほろは自問自答する。
「大勢のために1人が犠牲になるのは善いことでしょうか?」
「善くはありませんが、それが悲しい現実です」
私は、一応、これを正解としていた。
『美少女戦士セーラームーン』で言えば、セーラームーンが間違いで、世界を救うためには犠牲も必要と考えたセーラーウラヌスが正しい。
あれを見ていた子供達はみんな騙され、駄目な大人になったかもしれない。
まあ、このアニメは、そこまでの影響を与えていない・・・というか、そこまで考えるほどIQが高い子供は滅多にいなかっただろうね。

ところが、『傷物語』で、チャラい中年、忍野メメが・・・正解を出してしまった。
主人公の阿良々木暦(あららぎこよみ。高3男子)君が、緊急事態の中、忍野に、みんなが幸せになれる方法を教えろと言う。
忍野は、そんなもの、あるわけないと言う。
だが、みんなが不幸になる方法ならあると言う。

私もIQが低い。
こんな簡単なことが分からなかったのだからねえ。
1人に不幸を押し付けず、みんなで不幸を分担すればいいだけの話だ。
会社が業績不振で、誰かをリストラするとする。
それなら、リストラされる人(複数の場合もあるが)の給料を、みんなで負担すれば良い。
つまり、リストラされる人の月給が30万円で、社員が300人なら、平均、皆の給料を千円ずつ減らせば良いのだ。千円はあくまで平均で、給料が高い人ほど多く減らせば良い。
こうやって、不幸を皆で分け合えば良いのだ。

ケーキは1つなのに、食べたい人が3人なら、3人で分けるくらいのことは誰でもやるだろう。
これを、「幸せを3つに分けた」とは言わない。
当事者達は、誰もそう思わない。
皆でケーキの3分の2を失うという不幸を負った・・・というのがピッタリだ。
でも、何と言おうと、それが唯一の解決方法なのだ。
西尾維新、恐るべし・・・いや、この1981年生まれの作家のIQがちょっと高いだけなのだろう。
尚、『傷物語』は、一応、『化物語』の続編だが、著者も言う通り、時系列的には『傷物語』が先であり、こちらを先に読んでも差し支えない。著者はむしろ、それを薦めていたか・・・あまり考えずに書いたのだろう。
とてもエッチで面白いが、著者が「120%趣味で書いた」と言うだけあり、エッチな場面に必要そのものはない。ないが、著者の趣味が伺われるエッチさである。この、西尾のスケベと言っておきたい。私ほどではないが。

ドクター=ファンクビート 夢を見た
誰もが幸せになるコドモ騙しの妄想SHOW
誰もが不幸なのだ その巫山戯(ふざけ)たディストピアの中では
~『ドクター=ファンクビート』(作詞・作曲・編曲:nyanyannya、歌:KAITO)より~









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