一応、共に小説の話である
『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンは、驚異的な身体能力の持ち主で、その力は、頭髪が真っ白になる年齢になっても衰えなかった。
ジャン・バルジャンにその力を得させたものは、農夫の仕事であったと思う。その仕事の中には、山道を登ったり、木を切ったり、岩を崩したり、重い荷を運んだり等、あらゆる肉体労働があったのだろう。彼は、その仕事を愚直に熱心にやったのだろう。
『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎は、貧しい農家の出身の渡世人で、正式に剣を習ったことは当然なく、経験と度胸が頼りの喧嘩剣法であったが、滅法強く、若い頃には、半日かけて30人を相手に打ち勝ったこともあった。
また、何度か、正統な修行を積んだ剣の達人とも決闘し、腕そのものでは敵うはずがなくても、知略と運で勝ち、生き残った。
紋次郎の力の基礎は、若い頃に木こりのような仕事をしていたことによるものらしい。
山に登り、木を切り、運ぶ・・・大変な重労働だ。
さらに、紋次郎は、木を薪に割ることを、かなりやったようだ。
この薪割りが、刀を振る力を与えたのだと思われる。
日本人初の全英オープン(ウィンブルドン)出場者(1920年。ベスト4)の清水善造は、釜での草刈で手首を鍛え、その草刈に近い形でラケットを振っていた。
肉体労働で鍛える力は大したものである。
ジャン・バルジャンも、薪割りはかなりやったのではと思う。
薪割ではないが、あくまで伝説ながら、徳川家光は子供の時、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の指導で、一本の杭の頭を、ひたすら木刀で打ち込むことをやらされたという。
また、漫画であるが、本宮ひろしさんの『武蔵』で、宮本武蔵が、山の中で、やはり一本の杭を、一年ほどの間、ひたすら木刀で打ち続けたという話が印象的である。

天才の書く文芸作品なんてのは、ソクラテスの話によれば、神の叡智によるものなのだ。軽く見てはならない。
薪割り、杭への木刀での打ち込みという似た動作、あるいは、草刈・・・これらの限りない反復というのは、偉大な力を人間に与えるのだろう。
そして、これらの運動が、足腰を鍛えることを見逃してはならない。
全ての武術やスポーツの基礎は足腰だ。
まあ、スポ根ではないので、無理は禁物であるが、上に挙げた運動を取り入れれば、筋トレとは違う、実戦的な身体が作られると思う。
そんな訳で、私は4kgの鉄製の六角棒を購入して素振りをしているが、身体の芯から強くなり、まるで、『傷物語』(『化物語』の続編)で吸血鬼になった時の阿良々木暦(あららぎこよみ)君のような気分だ。分かり難い喩えで悪いが、要は、少しでも、ジャン・バルジャンに、紋次郎に、そして、人間を超えた者に近付こうと思う。
まあ、人間が何かやる動機はロマンである。
時に、人間は馬鹿にならないといけない。
私のように、常に馬鹿なのもどうかと思うが、「常に馬鹿でない」よりは良いと思う。
ただし、会社や上司や権威にとって都合の良い馬鹿には決してなるな。
私は、『傷物語』を読んで、本当に感動したのである。
「世界でいちばん貧しい大統領」や「ハチドリのひとしずく」には別に感動しないがね。









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