私は、イチローは幸せだなあと思ったことがある。
プロ野球選手として成功したからではなく、特別な機械を使って長時間行うストレッチ運動を「毎日やりたい」と言っていたからだ。
そんなものがある人が幸せなのだ。
こう言うと、愚かな・・・というか平凡な人間は、
「その運動って、そんなに気持ちいいのですか?」
などと言う。
言うまでもなく、気持ちいいからやるのではない。
普通の人は、気持ちいいことをしたがる。
それで、日に日に衰え、みすぼらしく、醜くなっていく。
だが、イチローらは、違う理由で、毎日やりたがる。
それは、「理想に近付く」からである。

親鸞は、弟子の唯円に、「念仏を称えても、躍り上がるような喜びを感じない」と言った。
それでも、親鸞は毎日、念仏を称えたかったのだ。
それが理想に近付くことなのである。

エドガー・ケイシーは、9歳の時から、毎朝聖書を読むことを生涯続けた。
彼も、毎日、聖書を読みたかったのだ。
それが、理想に近付くことだからである。

プロのミュージシャンっていうのは、朝起きたら、早くギターを弾きたいと思うような人達なのだ。
音楽が楽しいというのも、もちろんあるだろうが、やはり、演奏したり歌うことで、理想に近付いていくのである。

そんなものを持っている人間は幸せなのである。
野球選手の中にも、「出来れば練習はしたくない」と思っている人がいるだろうし、もしからしたら、その方が多いのかもしれない。
もしそうなら、たとえ一流になれたとしても不幸である。
全然分からないが、清原和博さんって、そんな人だったのだと思う。

問題は、何が理想かってことが、かすかに、あるいは、無意識にでも掴めているかどうかなのである。
日本では特にそうだが、教育というものは、理想から目を背けさせるものだ。
あなたは、理想を見つけなければならない。
イチロー、親鸞、ケイシーらは、理想を持っていたのである。









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