漫画、アニメ、あるいは、若者を読者の対象とする「ライトノベル(略称:ラノベ)」と呼ばれる小説には、「ハーレムもの」という定番ジャンルがある。
「ハーレムもの」の確固たる特徴は、主役の男子が、登場してくる美少女達に、ことごとに強い好意を持たれる(つまりモテモテになる)のだが、その主役の男子というのは、イケメンでも長身長足でもなく、何か秀でた能力を持つわけでもない、サエない男の子なのである(サエない特技の1つ位はあるかもしれないが)。
加えて、ドワンゴの川上量生会長の指摘では、「決して努力しない」男子であるということだ。
まあ、そこそこがんばっている男子はいるような気もするが、大人視点では「ちゃんちゃらおかしい」レベルであろう。
つまり、それらの作品の主役の男子は、読者の「男の子」、あるいは、「男の子」レベルの精神の男性が、「これなら俺でも勝てる。少なくとも、そんなに負けていない」と思わせる設定で、夢と安心感を与えるという狙いがあるのだと思われる。

ところが、私は、そんな作品を見ていたら(それほど多く読んだ訳でもないが)、「いや、こいつ(主役の男子)はモテて当然」と思うし、「自分には真似できないなあ」と思う。
前者は、作者も狙ってのことかもしれないが、後者は、作者の想定外ということもあるかもしれない。
それらの主役の男子には何かがあると思うのだが、その何かとは、多分、信念だ。
これらの「サエないヒーロー達」には、特別な信念を感じるのである。

『スターウォーズ』の一番最初の作品(旧三部作の「エピソード4」)と、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『あるヨギの自叙伝』で、同じような場面がある。
ルークの師匠オビ・ワン・ケノービや、ヨガナンダの師匠スリ・ユクテスワが、人間を操って見せるのだが、彼等は、「信念がない人間は簡単に操れる」と言う。
なるほど、それは真理だ。
そして、ハーレムものの主役の男子は、きっと操られないのである。
なぜなら、彼等には強い信念がある。
『To Loveる ダークネス』の主人公の結城(ゆうき)リト(高2男子)は、ヒロインであるララの母親の、誰も抗うことの出来ない魔性の魅力に、宇宙の覇者デビルーク王以来初めて支配されなかった。
ただの平凡な男の子であるリトには、宇宙の王デビルークにも匹敵する強い信念があるのである。
それは何かは分からない。
しかし、それは、彼等が決して捨てることが出来ない何かであり、絶対に譲れない何かであるのだと思われる。
そして、それは、表向きには「途方もない優しさ」として現れる。
そうだ、本当に優しい人間というのは、凄まじい信念を持っているものなのだ。
リトは、登場するあらゆる美少女達にモテまくるが、リトにはきっと、彼女達の「踏み絵」は出来ないのだ。
リトはおそらく、何かのキラメキを崇めているのだろう。
私には出来ないが、それが出来たら、あなたもリトのように、モテモテになるのは当然である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ