朝、起きたらすぐ(仕事の都合で夜起きる人もいるだろうが)、遅くとも30分以内に一度はガッツポーズをすることだ。
両手を高く上げ、胸を張り、顔を上げて微笑み、拳を握りしめて、心の中で、「やった!」とか「いいぞ!」とか「イエイ!」と叫ぶのである。
ガッツポーズで、下を向いたり、身体を縮こまらせる人がいるが、それは良くない。
サッカー選手やサッカーの監督でも、超一流を続ける人は、両手を高く上げ胸を張ってガッツポーズをするのである。
それで1日、ずっとうまくいく。
そして、なるべく多く真言を称えれば、存在感は増し、良いものを引き寄せる強力な磁石になり、宇宙が味方する。
真言は何でも良いが、「南無阿弥陀仏」と「南無観世音菩薩」の2つについてお話する。

称名念仏と言えば、浄土仏教のもののように思うかもしれないが、法華経だって、それを重要視している。
そもそも、我々に出来るのは、それ(念仏)くらいなのだし、それが出来れば十分である。
仏教そのものが科学であるが、念仏も十分な科学的裏づけがある。

ところで、「南無阿弥陀仏」と「南無観世音菩薩」はどう違うのだろうか?
前者は、阿弥陀如来に呼びかけ、後者は観世音菩薩に呼びかける。
阿弥陀如来は、宇宙そのもの、大自然そのもの、生命そのものである。
一方、観世音菩薩は、物質と心における、「力」を司る。
それは、簡単に言えば、こうである。
「南無観世音菩薩」と称えれば、宇宙の魂が自分の魂の中に流れ込んでくる。
「南無阿弥陀仏」と称えれば、自分の魂が宇宙の魂の中に流れ込んで広がる。
つまりこうだ。
「南無観世音菩薩」と称えれば、心と身体が宇宙の力に満ち、力が(自律的に)働いてくれるので無敵である。
「南無阿弥陀仏」と称えれば、自分が宇宙になる。

だが、同じと言っても良く、好きな方を称えれば良い。
あえて言えばだが、「南無阿弥陀仏」は時間をかけて大きな願いを叶えるが、「南無観世音菩薩」は目の前の問題を即座に解決する。
とはいえ、馴染んでくれば、そのどちらも、同じくらい出来るようになる。
いずれかを称えても良いし、両方称えたって構わない。

一応、私は、研究、実験、体験の結果、このように考えている。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加