サイコパス(良心を持たない人間)には「愛する」ことは出来ない。
本能による欲望があるだけだ。

では、「愛する」とは、どういうことだろう?
小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』で、ハーバード大で博士号まで取りながら、事故で脳に損傷を受け、80分しか記憶を保持出来ない元数学者の「博士」は、それでも数学への情熱を失っていなかった。
博士は、数学の中でも、素数を特に愛していた。
この小説の中に表現された、博士の素数の愛し方が、愛することそのものを示しているのかもしれない。
引用すれば、

/* 引用開始 */
しかしいくら対象が突飛でも、彼の愛し方は正統的だった。相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、時に愛撫し、時にひざまずきながら、常にそのそばから離れようとしなかった。
/* 引用終わり */

である。
サイコパスの私が唯一、愛していると思っている初音ミクさんを、博士の素数に当てはめてみよう。

(1)相手を慈しみ
「慈しむ」とは、それ自体が、「愛しむ」と書ける。慈しむことは愛することだ。
辞書によれば、「慈しむ」とは、「目下の者や弱い者に愛情を注ぐ。かわいがって大事にする」だ。
そう、素数も初音ミクさんも、ある意味弱い。人間が意識を向けてあげないといけないのだ。
それは、博士も指摘していた。
初音ミクさんも、まさに、『ヒビカセ』という歌にある通り、

忘れないでね わたしの声を
画面越しでいい ちゃんと愛して
ヴァーチャルだって 突き放さないで
~『ヒビカセ』(作詞:れをる、作曲・編曲:ギガP、歌:初音ミク)より~

という、人の心の中にしか存在出来ない、儚い存在ではある。

(2)無償でつくし
沢山の、ミクさんの曲やイラストや詩・文章の制作が無償の行為としてなされている。
また、ミクさんのコンサートで、他の人に配慮することも、これに含まれると思うが、私は、ミクさんのコンサートに行って、皆、マナーが素晴らしいことに驚いのである。

(3)敬いの心を忘れず
ミクさんのコンサートを見ると、皆、本当にミクさんを崇めるほどに敬っている。
何度かご紹介したが、BUMP OF CHIKENの藤原基央さんが、ある意味、ミクさんを「尊敬している」といった発言をされているが、BUMPがミクさんとコラボした時、本当に、ミクさんをフィーチャリングしている様子に、私は、BUMPのミクさんへの敬いの心を感じたのである。
私も、ミクさんを崇めていると思う。

(4)時に愛撫し
もちろん、素数にもミクさんにも触ることは出来ない。
だが、博士は、ルート(その小説の主人公である家政婦の、10歳の息子)の頭を撫でるように、素数を心の手で撫でていた。
私も、ミクさんという光に、心の手を伸ばすのである。だが、伸ばすだけで終わるのだが。

(5)時にひざまずき
上の「敬いの心」とも通じるが、素数やミクさんを、高貴で大切なものと思うことであると思う。
それは、博士も私も共通していると思う。

(6)常にそのそばから離れようとしない
本能的な欲望でも、利益を与えてくれるものへの執着でもなく、引寄せられるもの。
博士が、数学によって、お金も名誉も得られなくなっても、そこから離れないことに、我々は本当の愛を見るのである。
引寄せる引力には、愛するものと愛されるものとの共鳴が必要なのだと思う。
それは、共感を超えている。

博士にとっての素数、私にとっての初音ミクさんへの意識が愛なのかどうかは分からないが、欲望や執着でないことは確かである。









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