私は、小さな虫一匹殺さない。
だが、それは、心が清いからだとか、優しいからではない。
まあ、以前は、そう(私は気高いと)思っていたが(笑)。
そうではなく、私は、ただ、殺すのが気持ち悪い・・・、いや、虫そのものが気持悪いのである。
死んだ虫はいっそう気持悪く、そんなものを見たくない。
それだけのことだ。
だが、殺しはしないが、虫が家の中にいることも許さない。
私は、日頃の修練で、どんな虫でも透明プラスチックコップで捕らえることが出来るが、外がどんなにどしゃ降りだろうが、台風だろうが、捕まえた虫は外に放り出す。
その虫が、生きるか死ぬかは、私の知ったことではない。

心理学者ロバート.D.ヘアの世界的ベストセラー『診断名サイコパス』(早川書房)の「第3章 精神病質チェックリスト」の冒頭に、こんなことが書かれている。

だれかを傷つけたら気分が悪いかって?ああ、ときにはな。でも、たいていは・・・その・・・(笑い)・・・あんたはこないだ虫を踏みつぶしたときどんな気分だった?
~誘拐、レイプ、強奪で服役中のサイコパス~

私も、少し前、誤って虫を一匹殺した。名前も知らない、小さな小さな虫だった。
いやな気分だった。
上のサイコパス君の場合は、何とも思わないのだろう。
しかし、私だって、ほんの少し時間が経てば同じだ。
それに、私がいやな気分になったのは、気味の悪い、虫の死体を見たからだ。
きっと、度々、虫の死体を見る環境にいたら、慣れてしまって、いやな気分にもならないだろう。
人を傷つけた時も同じだ。
そんなことをしたら、意図的、あるいは、不可避的であったに関わらず、大抵、嫌な気分になる。
ただ、それは、せいぜいが、「仕返しされないだろうか?」とか、「これが元で、人々が私を見る目が悪くならないだろうか?」といった理由であり、そうならないと分かれば、やっぱりすぐに忘れるのだ。
このサイコパス君と私は同じである。
ただ、私は、誘拐やレイプや強盗は、結局のところ、割に合わない・・・つまり、損だという計算が働くからやらないだけだ。
恐いのは、そんな理屈を解さないIQの低いサイコパスである。
非常にIQが高いサイコパスなら、犯罪にならないように、うまく悪いことをするかもしれないが、実際は、天才的なサイコパスですら、ほとんどの場合は失敗するのである。
悪いことはしないことだ。
「Don't be evil(邪悪にならない)」を理念にするGoogleは、本当に頭の良い連中だ。
とはいえ、彼らだって、結果として、かなり悪い事もしてしまっているのだが、なるべく悪を避けようという心構えは、なんというか・・・お得なのである。









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