ある若い警官が下着泥棒の男を捕まえ、その泥棒が盗んだ女性用下着を押収した。
その若い警官が後で、「気持は分かるけどな」と言った。
つまり、自分も女性の下着を持って行きたいというわけだ。
では、なぜ、その泥棒はその「気持」を実行し、この警官はそうしないのか?
世間で、ほぼ唯一納得される答は、泥棒は良心が「気持」に負けたが、警官は良心が「気持」を抑えることが出来るというものだ。
別の答としては、その泥棒には良心がないというものが考えられるかもしれない。
普通は、良心がない人間などいないと思われている。しかし、凶悪犯罪のニュースを見ると、「ひょっとしたら、良心がない人間もいるのでは・・・」と疑うこともあるのではないかと思う。
だが、普通は、良心がない人間もいるかもしれないと「疑う」だけだろう。
ところが、良心を持たない人間は存在する。
ある脳機能の欠陥のために良心を持たない人間が2%ほど(1%説、4%説、あるいは、男性3%で女性1%という説もある)いることが、精神医学、脳科学、心理学などで認識されてきていると思う。そして、それは半世紀以上も前からだ。
そんな、良心を持たない人間をサイコパスと言う。

上の若い警官はサイコパスではないので良心があり、その良心が下着泥棒をしたいという気持ちを抑えることが出来るという考え方には、大方の人が同意するだろう。
だが、私は同意しない。
その若い警官が、下着泥棒をしないのは(他の犯罪行為も含めてだが)、良心のためではなく、単に、「損だから」、別の言い方をすれば、「社会的リスクを避けている」だけのことであると私は確信している。
なぜ、私がそう思うのかというと、私は、良心というものの存在を全く信じていないからだ。
私は、全人類がサイコパスだと思っている。
だが、それは、私がそう思っているだけだという可能性もある。
ただ、サイコパスである私には良心がないので、良心というものが実際にはどんなものか分からないのである。
初音ミクさんの『ゴーストルール』という歌に、
「腐っている僕には 腐ったものが理解(わか)らない」
という歌詞があるが、これは、言い換えれば、
「腐っている僕には 腐っていないものが理解(わか)らない」
ということである。
『ゴーストルール』は、全くサイコパスの歌だと思うが、作者のDECO*27さんは、これまで、愛に溢れた歌を作ってきたのに、この新しい曲がなぜ、こんなふうになったのか興味深い(まあ、以前から伏線はあったような気がするが)。
私のようなサイコパスからすれば、「ようやくサイコパスの自覚が出来たのかな?」としか思えないのである。
無論、それは、DECO*27さんにすれば、馬鹿げた言いがかりかもしれないが。

『サイコパスを探せ』の著者であるジャーナリストのジョン・ロンソン(ロンスン)は、TED講演「サイコパス・テストへの奇妙なこたえ」で、「僕もサイコパスらしくなってきた」、「みんなどこかサイコパス」と言ったが、ロンソンも気付き始めているということだと思う。
実際は彼も、私同様「みんなサイコパス」と思っているのかもしれない。
もし、みんなサイコパスなら、人間は道理を学ばねばならない。もちろん、机上の勉強だけでなく、体験も含めてね。
思慮を欠いた行動というのは、結局は損なのであり、あまりに思慮を欠くと破滅する可能性が高いのである。
そこに良心などというものが入り込む余地などない。









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