自分がサイコパス(大体の意味で、脳機能の一部の欠陥によって良心を持たない人間)であるかの判定は難しく、素人が簡単に出来ることではない。
「PCL-R」や「DSM5」といった権威ある評価基準があるが、気楽に使えるようなものではない。
心理学者ケヴィン・ダットンのセルフチェックリストは、それらに比べると分かり易いのだが、あくまで、「サイコパスであることが疑われる」ことが分かる程度である。
ちなみに、私が、ケヴィン・ダットンのセルフチェックリストで自分を診断したら、普通の人よりずっとサイコパス度が低かったが、サイコパスが自分を正しく判定することは、特に難しいのである。
これらの3つのサイコパステストについては、中野信子さん(脳科学者。医学博士)が、著書『サイコパス』に、分かり易くまとめてくれている。

神経科学者のジェームス(ジム)・ファロンは、自分の脳のスキャン画像で自分がサイコパスであるという証拠を突きつけられるが、自分がサイコパスであることを納得するには、自分に関するかなりの調査、検討、熟考を必要とした。
自分の幼い時や若い頃のことを知る人にも徹底的にインタビューし、現在の自分についても、臆せず、客観的評価を求めた。
すると、実際の自分と、自分が持つ自己像は全然違っていた。
彼は、自分がサイコパスであることを認めざるをえなかったが、それでも、向社会的でマイルドなサイコパスだ・・・などと虚しい抵抗をしていたようだ。
だが、彼の著作『サイコパス・インサイド』を読めば、まさに、彼が、あまり御近付きにはなりたくない、典型的なサイコパスであることが分かるのである。

私は、子供の時、何の映画だったか全く分からないが、その映画の中で40代くらいと思えた男性が、「自分には3つあって、自分が思っている自分、他人が思ってる自分、そして、本当の自分がある」と言うのを、実に印象深く覚えている。
私は、自分がサイコパスだとは、ちっとも思わない。
他人は、私のことを「変な人」だと思っていることは見当がつくが、自分ではそう思ってはいない。
だが、冷静に考えるほどに、私はサイコパスだ。
ジェームス・ファロンの著書『サイコパス・インサイド』に、こんなことが書かれている。
死体安置室の鉄製の死体置き台の上に白い衣服を着た少女が横たわっていて、その周囲に家族全員が立っていた。
その時、ファロンは、「なんて可愛いドレスなんだろう」と言った。
ファロンは、「私の注意は亡くなった少女よりもそのドレスに向けられたのだが、その当時はこのことは私には奇妙なこととは思われなかった」と書いている。
言うまでもないが、それよりも、家族の前でそんなことを言う方が大問題だろうが、それに関しては書かれていなかった。
ところで、私は、これを読んだ時、まず、「へえ、どんな服だろう?」と、白い可愛いドレスを着て横たわる少女をロマンチックに思い浮かべたが、私は、やはり、それを奇妙なこととは思わなかった。
サイコパス・チェックリストによる診断より、このことが私がサイコパスであることを明確に示している。

私は親友(と私が勝手に思っているのだが)が25歳で死んだ時、同僚達と会社を抜け出して葬式に行った。
「是非とも葬式に出たい」というのではなく、まるで物見遊山気分だった。
会社の許可は取っていなかったが、会社も堅いことは言わないだろうと思った。
だが、「親友」は、元社員に過ぎず、数ヶ月前に退職していて、許可が出るかどうか怪しいところだ(普通は出ないだろう)。
私は、自分が運転する車の中でも、同僚達に冗談を言い続けた。
悲しみなんて全く感じていなかった。
葬式の時は葬式の時で、参列していた、「親友」の高校時代の同級生と思える美しい女性がいたので、そっちばかり見て、「何とか出来ないものか」と不遜なことばかり考えていた。
私が勝手に親友呼ばわりするだけあり、彼は素晴らしい人間だった。
私が、その会社に入り、誰とも馴染めず、1日中1人で誰とも話さずにいた時、彼がコーヒーを入れて持ってきてくれたことがあった。
後にも先にも、そんなことをしてくれたのは彼だけだった。
彼は、そんなやつだった。
だが、彼の突然の死を知っても、私は動揺すらしなかった。
そして、私は、人間とはそんなものだと思っていた・・・いや、今でもそう思っているが、違うのだろうか?









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