昔(ことによっては太古)から、百人に1人はいると言われるサイコパスは良心を持たない人間である。
サイコパスの特徴は、過剰な自尊心と退屈し易いことだ。
また、サイコパスの他の特徴として、他人を支配したがるとか、他人に共感しないとかがあるらしいが、これらはちょっと難しい。
しかし、異常なプライドの高さと根気のなさは、分かり易いサイコパスの特徴だ。
谷川流さんの人気小説『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン涼宮ハルヒが典型的なサイコパスと言えると思う。

IQが高いサイコパスは改革者として英雄になり、IQが低いサイコパスは、たとえ犯罪者にならないまでも、始末に負えない人間として、水に沈められて殺されてきた。
涼宮ハルヒは、IQが高いらしく成績は抜群で、さらに、何をやらせても他人に秀でるが、やっていることを見ると意外と平凡だ。
高校生までのハルヒは、美少女ということで大目に見てもらえるが、将来、ハルヒは、偉大な人間になるか、あるいは、誰にも相手にされずに、つまはじき者、あるいは、引きこもりになるだろう。

しかし、考えてみれば、小説の主人公なんて、全員サイコパスだ。
そりゃ、小説の主人公になるのは、かなり変わった人間でなければならないに決まっているし、サイコパスというのは、一見、ヒーロー、ヒロイン向きだ。
マーガレット・ミッチェルの歴史的ベストセラー『風と共に去りぬ』のヒロイン、ケイティ・スカーレット・オハラなどは、まさに、見るからにサイコパスだ。
ハルヒとスカーレットは、サイコパスの見本として標本にしておきたいと思うほどである。

筒井康隆さんの、既に日本の国民的小説と言っても差し支えない『時をかける少女』のヒロイン芳山和子は、その平凡な名の通り、ごく平凡な中学3年生だ。
しかし、平凡さは表向きであり、彼女も、小説の主人公に相応しく、明らかにサイコパスだ。
なんだかんだ言っても、男の子達をアゴで使い、刺激を求めて、怖いものも見たがり知りたがる。
なるほど、未来人の少年すら虜にした訳である。
いや、そもそも、あの物語は、サイコパス芳山和子の妄想であったというのも成り立つのである。
小説は、和子のこんな想いで終わっている。
「いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする」
これが、過剰な自尊心を持つサイコパスの典型的な妄想であろう。

サイコパスは努力しないので、戦場の実戦で強くなる。
宮本武蔵のように。
だが、将軍家指南役の柳生新陰流の頭首はサイコパスでは務まらない。
柳生家頭首は、道場で根気よく修業に励む者でなければならない。
だから、柳生家では、剣の実力のみで頭首を決めず、人間性を重んじた。
武蔵は柳生宗矩との決戦を望んだが、宗矩は相手にならなかったと云われる。
あるいは、武蔵が実際に宗矩のところに行き、圧倒したが、武蔵は宗矩に、「わしに勝ったら、お前は生きてこの屋敷を出られない。柳生家の名誉のため、門弟全員でお前を始末するからな」と言われ、虚しく引き上げたという話がある。風説かもしれないが、ありそうな話だ。
武蔵は、腕は立っても報いのない人生を送った哀れな存在であったに違いない。









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