マザー・テレサがサイコパス(良心を持たない人間)であったと言う研究者がいるらしい。
実際はどうだったかは分からないが、私は納得出来る。
そして、それなら、「密林の聖者」アルベルト・シュヴァイツァーもサイコパスだったのだと思う。
この2人がなぜサイコパスだと思うかというと、いろいろあるが、1つには、「サイコパスの顔をしている」というところだ。
もちろん、マザー・テレサが本当の聖女だとしても、優しいとか、気高いだけであんな活動が出来るはずがなく、強い「戦う女」でなければならなかったはずだ。
シュヴァイツァーも然(しか)りである。
そうであれば、当然、アクの強いふてぶてしい顔にもなるだろう。
だけど、彼らのようなことをするには、「サイコパスでない人間は優し過ぎる」のである。
邪悪な顔をしていない普通の人は、歴史的な聖者にはなれない。

シュヴァイツァーは、なぜ、全てを捨て、アフリカの未開地で医療活動をしようと思ったのだろう。
学者、音楽家として成功し、地位も名誉も得ていた30歳の時に、医大に入学し、38歳で医学博士になると、医療器具や薬品を自分で調達し、アフリカに乗り込み、医療サービスを受けることがなく、未開地の劣悪な環境の中で難病に苦しむ現地の人々を治療し始めた。
そんなことをした理由として考えられるのは、サイコパスらしい過剰な自尊感情だ。
確かに、シュヴァイツァーは、神学者や音楽家として成功し、特に、パイプオルガン奏者としてはかなり有名であったと思う。
しかし、それだけでは、人類の歴史に残るほどではないことを、彼はよく理解していたはずだ。
かなりの才能があり、努力もしたのだろうが、特別な天才というほどでもなかったのだ。
ここらは、映画『アマデウス』におけるサリエリの悲哀を思い出させる。
サリエリは素晴らしい音楽家であったが、モーツァルトのような大天才ではなく、そのことでサリエリは自分を哀れみ嘆いた。
シュヴァイツァーは富と名誉に囲まれて30歳になろうとしていた時、アフリカでは人々が、医療サービスを受けることが出来ずに苦しんでいるということが書かれた慈善団体のパンフレットを見る。
伝記によれば、ここで彼は天啓を得、「神よ、私が行きます」と思ったという。
本当にそう思ったのかもしれない。
しかし、それは善意ではなく、神に近い位置に自分を置きたいという、強い自尊感情のためかもしれない。
良心は、さほどのエネルギーを生まないが、強烈な自尊感情は、山をも動かす力を持つ。

また、サイコパスは、衝動的で、深く考えずに思い切った決断が出来る。
それが悪い方向に働けば・・・つまり、IQが低くて、大したことが出来ない人間であれば、犯罪行為に走ることも多いが、シュヴァイツァーのように優秀で富もある場合は、自尊感情を最高に満たせる選択肢を選べる。
しかし、それとて、冷静にじっくり考えれば、決して実際にやろうとは思わないものである。

人類として初めて月面に立ったアメリカの宇宙飛行士ニール・アームストロングもサイコパスであったという説がある。
今もある程度はそうだろうと思うが、特に、あの時代の宇宙飛行士は命知らずでなければ、とても務まらない。
そのためには、ある意味、鈍感で恐れを知らず、その分、刺激を求め、衝動的でなければならないが、生まれつきのIQが高いので、その衝動性が、大胆で、かなり良い決断になり得ることが宇宙飛行士に向いているのだと思う。
それはつまり、IQが高いサイコパスであるということである。









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