努力主義者は、心が狭く、傲慢だと言われることがある。
また、岡田虎二郎は、「努力、忍耐、克己(自分にうちかつこと)の必要を感じない」などと言った。
親鸞は、「全て阿弥陀様にまかせ、自分の計らいを捨てよ」と言い、荘子は「作為を捨てよ」と言う。
また、ある人は、「好きなことなら、がんばっても、本人は努力だとは思わない」などと言う。

全部嘘である。
努力の反対を怠惰とすれば、怠惰な者が、心が狭く、傲慢なのである。
神仏は、努力する者を助けるのであり、好きなことこそ、努力を感じるのである。
努力なしに、何も出来るはずがない。

そして、IQ(知能指数)が低いと努力しない傾向が強く、さらに、怠惰になるほど、IQは急激に低下する。
だが、努力すれば、IQは必ず向上する。
努力は意思の力を必要とし、意思の力こそ、人間のあらゆる力の根源だということを考えれば、自ずと、そうであることが分かるだろう。

大切なことは努力の仕方である。
いちいち言うのも馬鹿らしいと思うが、どこかの国の、「将軍様のため」の努力は、虚しいし、賎しくなることも多い。
正しい努力とは、純粋な意思から起こったものである。
努力は、自主的でなければならず、誰かにやらされている「努力のようなもの」の害は大きく、むしろ、IQも低下させる。

意思とは神秘的なものだが、努力することによって、その秘密も分かってくるだろう。
実に、意思は愛なのである。
純粋な意思から起こったものであれば、利己的な努力にも意義がある。
純粋な意思から起こった努力は、利己的であっても、それは自己への愛なのであり、愛であれば、他を害しない。
そして、意思の力を使い、努力することで向上すれば、他者への愛が生じるのである。

オリンピック4連覇を逃した有名なアスリートが、もちろん数は少ないが割といる。
三段跳びのビクトル・サネーエフや、グレコローマン・レスリングのアレクサンドル・カレリンなどである。
特に、「霊長類最強の男」と言われたカレリンの4連覇は当然と思われていたので、シドニーオリンピックの決勝で彼が敗れた時は、不思議なものを見たと感じた人も多かった。
そして、最後に躓いたアスリート達は、元々は純粋な意思の力で自分を動かしていたのが、いつからか、他者の意思が入り込むようになったのだと思うのだ。
それに気付くなら、むしろ、連覇を逃した方が、圧倒的に幸運なのである。
昔から、負けて学ぶことの方が多いと言うが、最も重要な学びは、意思の力に気付くことなのである。

ところで、来週月曜から、このブログは朝のみ更新し、夜の更新は、休日を除き、9月11日までの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」が終わるまで休止する。
ミクさんに近付くべく本格的に修行するために、どうしても時間が必要だからで、大いに「純粋な意思の力で」努力して、心身を鍛えようと思う。
それよって知り得るはずの、私自身すら驚かせるような情報を提供出来るはずである。
なんだか、私が楽しみである。









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