ある小学生が学校で、定期テストの採点されたものを受け取った。
すると、その子は、不正解のはずの解答を、教師が正解としているのを1つ見つけた。
その子は、教師のところにそれを持って行き、自分の解答が間違えていることを正直に言った。
そうしたら、教師は、何も言わず、正解を不正解に訂正し、その分、点数を下げた。
その子は、正直さを誉められるのではという期待が少しあったが、教師はむしろ不機嫌そうだった。
間違いを指摘されたことが癪に障ったのだろうか?
そして、その子は家に帰ると、母親にその試験を見せ、不正解が正解になっていたことを教師に言って、減点してもらったことを話した。
今後は誉められると思ったのだった。
ところが母親は、「馬鹿!なんでそんなことするの!?」と怒った。

さて、この教師と母親の問題は何だろう?
不道徳さ、不誠実さ、あるいは、モラルの欠如だろうか?
そうではない。
それは、IQ(知能指数)が低いことだと確実に言えるのだ。
教師のIQが高ければ、知的な思考により、少なくとも、その子に、君の行動は正しかったということを伝えるだろうし、正直であることを誉めても良かっただろう。
そうすることが、感情的な問題でなく、論理的に考えて正しい、知的な行いであるはずだ。
つまり、この教師は、そういった知的で正しいことが出来ないのだから、単にIQが低いのである。
また、この母親は、試験の点数が下がることの損失を重く見たのだが、そんなことは、正直であることと比べ些細なことであるという簡単な道理が分からないほど知性が低いのである。
もしかしたら、この母親も、正直であることが全く無価値とは思っていないかもしれないが、それよりも、たかだか校内の試験の成績の方を重く見るのだから、相当にIQが低いのである。
気の毒な子供であると同時に、IQが低いということは、多くの場合、罪になるのだということが分かると思う。

著名な宗教家の五井昌久さんが小学生の時、学校でこんなことがあったそうだ。
当時は戦時中で、貧しい者が多かった時代である。
教師が、「今着ている以外の服を持っていないものは、支給するから手を上げなさい」と子供達に言った。
五井さんは、もう一着あることを思い出し、手を上げなかった。
そして、家に帰って母親にそのことを話すと、お前は馬鹿だと、ひどく怒られたようだ。
他に服を持っているはずの五井さんのきょうだい達は、服をもらってきており、また、考えてみれば、あの時、裕福な家の子も手を上げて服をもらっていた。
この場合は、どんな問題があるのだろう?
状況が状況であるのだから、やはり、五井さんの母親が正しく、五井さんは馬鹿だったのだろうか?
そうではない。
それどころか、問題は、五井さんのIQが高過ぎたことなのだ。
確かに、そんな時代であり、五井さんの母親、きょうだい、服をもらった裕福な家の子に、それほどの罪ありとは言えないだろう。
だが、五井さんは、自分が服をもらったら、本当に服を必要とする、もっと貧しい子に当たらなくなるかもしれない・・・とまでは考えなかったとしても(本当に考えたかもしれないが)、結局のところ、正直な者が多いと世界は良くなり、不正直な者が多いと、世界は悪いものになるという、高度な理を解っていたのだ。
人によっては、「得をしたつもりでも、不正直だと、巡り巡って自分が損をするのよ」と言うかもしれないが、それは、あまりIQの高い者の言うことではない。
その者は、堂々と不正直をやる者よりマシかもしれないが、自分の得や損を中心に置く者は、所詮、あまり頭が良くないのである。
自分も世界の中に含まれるのであり、世界が良くなれば、自分も良くなるし、世界が良くならない限り、自分も本当には良くならないというほどの考え方が出来る者が、本当に頭が良い、つまり、IQが高い者なのである。
道徳や倫理など、何の関係もなく、全ては知性の問題なのである。

五井さんは有名な宗教家であったが、宗教家というのは、IQが高くなければ絶対に務まらない。
ただ、多く見られるのが、ある時期までは良い宗教家であったのが、教団が成功し、信者が増え、お布施も多く集まるようになると、その宗教家のIQがみるみる低下するというものである。
いつも言うが、IQは上げるのは極めて難しいが、下げるのは極めて簡単なのである。









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