王貞治さんが現役の野球選手時代にやっていた「一本足打法」を、映像でなら見たことがある人も多いと思う。
王さんは左打者だったが、投手がボールを投げる前くらいに右脚をぐっと曲げて左足1本で立ち、そのまま打つのである。
この一本足打法を合理的で効果的な打ち方だと思っている人は多いかもしれない。
しかし、この打ち方は、全く不合理で、デメリットばかりでメリットはほとんどない、わざわざハンデ(マイナスの条件)を持つようなものなのだ。
言ってしまえば、デタラメな打ち方である。
その証拠に、だれもこれを真似していない。短期的に、ちょっと似た打ち方をした打者はいたと思うが、実質は全然違う。
もし、一本足打法が優れた打ち方なら、国内外で流行りそうなものだ。
やはり、少しも良いところがない打ち方なのだ。
では、なぜ、あの打ち方で、王さんは868本という、他と隔絶するほどの数のホームランを打てたのか?
それは、あの打ち方が、障害であるがゆえにだ。
わざと不利な・・・それもかなりの大きさの不利な条件を課すことで、それを埋め合わせるべく、王さんは、他の能力が高くなったのだ。
バランス、勘、タイミング、判断力、その他が、他の選手を圧倒するレベルになり、トータルで、誰にも負けないバッティングになったのである。
(イチローが昔やっていた振り子式打法は、よくは分からないが、気分でやっていたのだと思うが、速い球に対しては不利な点があり、メジャーリーグではやらなかったのだと思う)

障害というものは、異常な能力を引き出す鍵になりえるのである。
今年(2016年)のTEDカンファレンス(講演会)でのティム・ハワードの講演会であった話だが、4人のお互い馴染みの学生と、3人は馴染みだが、それに1人の見知らぬ者を加えた4人の学生という2種類のグループを作り、課題を解かせたところ、見知らぬ1人が加わった「気まずい状況」にあったグループの方が、はるかに好成績を示した。確かに、4人の馴染み同士のグループは「楽しくやれた」と言い、知らない1人が加わったグループは「楽しくなかった」と言ったが、結果は、楽しくなかった方・・・つまり、障害があった方が良かったのだ。

個人でも、チームでも、障害、不利な条件、やっかいごと、煩わしいこと・・・そんなものがあるほど、創造性や鋭さが増すのである。
これを、自分自身に適用する場合には、どうすれば良いだろう?
ティム・ハワードはジャーナリストらしく、あくまで西洋的な合理性、論理性を重視したが、もっと大きな力は、不合理で非論理的だ。
人間は、放埓(勝手きまま)に振舞いたいし、有利な条件を得て、余裕を持って目標に挑みたいものである。
だが、それに、あえて制限をかける・・・制約を持ち込むのだ。
それにより、加えた制約に倍する力を神が与えるかのように、不思議な力が出てくるのである。
たとえば、朝、ゆっくり寝ていても誰にも文句を言われなくても、敢えて早起きして聖書を読むことを、1年365日、1日も欠かさないよう自分に制約をかければ、不思議な力が与えられるものだ。
4つ食べられるところを、あえて3つにすれば、ダイエットになるなどというレベルではなく、まるで神仏が力を貸したかのようなことが起こる。
法然が1日中念仏を唱えていたのも、自らに厳しい制約を課したという面も、確実にあるのである。

強制的な制約ではあったが、ミルトン・エリクソンは、生まれ育った家に、聖書と辞書しか本がなかったが、エリクソンはなぜか辞書を選び、それを繰り返し読んだ。
学校に入っても、エリクソンは、辞書を「引く」ことが出来ず、いつも、aから順番に見ていって言葉を探すという、とんでもないハンデのあるやり方を続けた。
それによって、知識を得たこともあるが、それを超えた、不可思議な知恵を、彼は得たのであると私は思う。
さらには、エリクソンは少年時代、ポリオに罹り、長い間、目玉以外を動かせないという、とんでもない制約を持ってしまったが、それにより、鋭い・・・という言い方では全く説明出来ないほどの観察力、感知能力を得たのである。

これは勝手な想像だが、ドワンゴ会長の川上量生さんは、元々、頭が良かったという以上に、ネット廃、ゲーム廃、人嫌い・・・といったハンデのために天才になったのかもしれない。
まあ、かなり勝手な想像であるが、似た状況にある人は、ハンデはハンデとして受け入れ、だからこそ創造的になろうと思っていただきたいものだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ