私は高校1年生の時、ゲーテの次の詩がとても印象的だったので、頭の中で反芻したことを、よく覚えている。

知恵を大げさに自慢し見せびらかすのをやめよ、
謙遜こそゆかしいものだ。
君は青年時代のあやまちを卒業するかしないうちに、
もうきっと老年時代のあやまちを犯すだろう。
~『ゲーテ詩集』(高橋健二訳。新潮文庫)より引用~

老人は、自慢好きな傾向が確かにあるのだろう。
あの宮本武蔵ですら、一説によれば、年を取ると、昔の自慢話をして煙たがられていたらしい。
もっとも、武蔵ほどになると、自慢もスケールが大きくなるので、たまにちょっと自慢しただけでも、聞かされる方は劣等感を刺激されて嫌な気持ちになるのかもしれないが。

自慢とは、自分を大きく見せるためにするものだが、往々にして大げさになり、嘘も入る。
『大草原の小さな家』という、アメリカのテレビドラマで見たが、若い時にフットボールの選手だった老人は、ある試合で決めた劇的タッチダウンの話をする度に、自分がボールを運んだ距離が長くなっていったのだった。
それを微笑ましく思いながら笑って聴いても構わないのだが、自慢というのは恐ろしいものなのだ。

私も自慢をよくする方だったし、その自慢の中には、大げさな嘘も混じっていることが多かった。
そんな自慢をした後、私はいつもひどく後悔し、消えてしまいたい気持ちになった。
そして、自慢をすると、確実にIQは低下する。
自慢好きな老人が、若い時よりIQが恐ろしく下がっている理由の1つはそれだろう。

IQが高い者は、冗談で言う場合は別として、自慢をすることはないし、自慢をするようになると、天才すら凡人にまで成り下がってしまう。
さっきのゲーテの詩のように、「謙遜こそゆかしい」から自慢しないのではなく、「IQを低下させるのが嫌なら」自慢をしないことだ。
それで思い出すのが、岡本太郎が言った、
「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されないといけない」
である。
いろいろバリエーションを思いつく。
「嫌われたっていいじゃないか?いや、嫌われないといけない」
「馬鹿だと思われたっていいじゃないか?いや、馬鹿だと思われないといけない」
IQの低い凡人に認められてどうなる?
認められてたまるかという気概が必要であると思う。

自慢をやめると、思考を鈍くさせていた重石のようなものが確実に無くなる。
自分の価値を人に認めさせたいと思う欲望を叩き壊すことだ。
自己アピールなど下らないことだ。
なぜなら、説明は省くが、自己アピールする者を支配するのは容易いからだ。
自分のことを言う時は、ただ正確に言えば良いが、そうすると、随分自分を小さく言っているように感じてしまい、ついつい、飾り立ててしまう。そんな誘惑を捨てなければならない。
まあ、いっそ、「天上天下唯我独尊」ほど大きく言えば良いのであるが、皆、それはしないのである。

実際、ほとんどの相談事に対する最適な解答は、「自慢をやめよ」になるのではないかと思う。
ところが、相談をする者というのは、「このスイッチを押せば解決しますよ」といった感じの答を期待しているものであり、優れた答を聴くと、その答は低級だとかデタラメだと言うのである。
ある、不登校児を持つ父親が、高名な心理学者に、
「先生、子供が学校に行くようになるスイッチってないですかね?」
と尋ねたらしい。
父親が自慢をやめれば解決するのだが、彼はそれをしないし、もはや、自分が自慢をしていることすら分からないのだろう。
父親のIQがそれほどまでに下がってしまったことが、子供の不登校の根本的な原因なのにね。









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