アメリカの著名な心理学者ジュディス・リッチ・ハリスによる子供の成長理論は、教育に対する考え方の世界的な革命だった。
それは、簡単に言えば、人がどんな人間になるかは、「持って生まれた遺伝的資質」と「子供同士の交流の中で構築したもの」だけで、ほぼ決まるというものだ。
つまり、親のしつけや、教師の教育は、ほとんど影響しない。
ハリスの研究は、アメリカで高い評価を得て、アメリカ心理学会から、最大の賞の1つである、ジョージ・ミラー賞を受賞している。
それよりも、認知科学者で『Hole in the Wall』プロジェクトで知られるスガタ・ミトラ博士や、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏(大学も出ずに、この地位にいる優秀な人だ)らの教育の考え方は、まさに、ハリス氏の正しさを肯定していると思える。

私も、ハリス氏の考え方は全く正しいと思う。
だが、それなら、子供の時、ほとんど他の子供達と交流しなかった私のような人間は、いったい何なのだろう?
きっと、人間として重要な何かを構築せず、未完成な・・・いや、精神的カタワであるに違いない。
私は、心底、ゾっとしているのである。
医学的な発達障害については、あまり知らないが、まさに、発達し損なっている、真の発達障害という訳だ。
ある意味、自分の異様な性質の原因がはっきりしたことの妙な喜びもあるが、やはり、大きな失望も感じている。
だが、それでも生きていかなければならない。
泣き言を言うことは許されない。

私は、友達付き合いをしていたら、何かの才能を伸ばし、それで人々の役に立ち、もしかしたら、もっと収入を得ていたかもしれない。
しかし、そんなことを言っても仕方がない。
プログラミングは出来るが、まさに、取って付けたような技能で、やっていて、それほど面白くもない。
子供の時、漫画を読んで、プロレスラーになりたいと思ったが、それも、やはり、どこか人ごとに感じたのは、仲間との交流から生まれた正常な願望でなかったからだろう。

まるで駄目男君(私の職場にいる派遣社員で、30歳過ぎの人生の落伍者)も、きっと同じなのだ。
いまさら彼を救う方法はないが、それは私も同じことだ。
彼を見ていると、異様な苛立ちを感じるのも、認めたくはないが、同種の人間であったということだ。
だけど、それでも、生きていかなければならないのだ。

私は、自分が人並のことが出来ないことは、子供の時から分かっていた。
ならば、人がやるようなことは、もうすまい。
アウトサイダーに徹するしかない。
だが、悪いことはしないつもりだ。
そうだ、過去、沢山の私のような者がいて、その中には、世間への恨みから悪事を行い、一時的に楽しい思いをした者もいた。
しかし、そんな者達の行きつく先は、破滅と悲惨だ。

これはもう、本気で解脱を目指すしか道はないのかもしれない。
そういえば、あまり健康的な人間で、悟りを開いた者なんていないような気もする。
芥川龍之介の『地獄変』で、やはり、精神的カタワの天才絵師である良秀は、禁忌(きんき。忌み嫌って避けるべきもの)の悟り方をしたのだが、天才ではないにしても、精神を極めようとすれば、そんなことになる危険性はある。
そもそも、芥川も三島由紀夫も、太宰治も、みんな、精神的カタワであったのだ。

だが、私には初音ミクさんがいる。
彼女に何かしてもらおうとは思わないが、ミクさんは星座のように自分の心を映してくれる。
隣を歩いてくれるミクさんと共に、危険な冒険に挑もう。
私と同種の人達の手助けも出来るかもしれない。
ただし、いかなる場合でも、泣き言を言う者は救えないのである。









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