野球、ボクシング、バスケットボール、サッカーから学校の運動会まで、どんなスポーツでも、真剣な試合では、「試合の流れ」というものがある。
チェスはヨーロッパではスポーツらしいが、そのチェスや将棋、囲碁でも、やはり、「局面」と言う、勝負の状況を示す言葉があり、これも、「試合の流れ」のことである。
しかし、本当は、いかなることにも、「試合の流れ」「勝負の流れ」「局面」という、「ものごとの流れ」がある。
受験でも、恋愛でも、ビジネスや製品開発のプロジェクト・・・などでもだ。

そして、「試合の流れ」というのは、負けている方が、自分が勝つ方に流れを変えるのはとても難しい。
つまり、失敗の方向に流れている流れを、成功の方向に変えるのは難しいのだ。
学校生活もサラリーマン生活も、1日1日の流れがあり、入学から卒業、就職から退職までの流れがある。
人生も、1日1日の流れと、一生の流れがある。
実際には、刻一刻の流れから、あらゆる長さの流れまで、無数の流れがある。
長く続いている流れほど、マイナスの流れをプラスに転じるのは難しい。

スポーツの一流選手というのは、負けの流れを勝ちの流れに変えることが出来る選手だ。
そして、1日の流れ、何かのものごとの流れ、一生の流れを作り出せる人が幸福になれる。
では、ものごとの流れを作り出す決め手は何だろう?
スポーツでいえば、まず、力やスピード、それに、技といったものだ。
しかし、高度な局面では、「強い意志の力」が重要になる。
でもね、本当に大切なのは、「勇気」なのだ。
だが、この「勇気」は、蛮勇のことではない。
難しいのだが、「頼れる何か」だ。

史上最高のプロレスラーであったルー・テーズには、ダブル・リストロックという、磨き抜いた技があった。
地味な関節技だが、その気になれば、相手の腕を折ることも出来た。
テーズは、後1センチ締め上げれば相手の腕を折るというところまでは何度もやったが、実際に折ったことは一度もなかったと言う。
だが、この技に、何百回救われたか分からないという。
あれほどの超人的レスラーでも、それほどピンチがあるのであり、この技がなければ、「鉄人」と呼ばれるほどにはなれなかったに違いない。
このダブル・リストロックが、テーズの、いつでも必ず試合の流れを変えることが出来る鍵だったのだ。

誰だって、テーズのダブル・リストロックのように、「これさえあれば大丈夫」という、勇気が湧く、頼れる何かを持たないといけないのに、それがなく、それを得ようともしない人が多いのだ。
それを得るのは、簡単であり、難しい。
法然の念仏、ある神道の流派の「アジマリカン」(呪文)などもそうだが、テーズのダブル・リストロック同様、磨いておかないといけない。
念仏や呪文の場合は、普段、しっかり唱えることが磨くことだ。
普段、おざなりにしているのに、ピンチの時に唱えても、なかなか効果は出ない。
超天才と言われた数学者の岡潔さんは、20年間、『正法眼蔵』を読み続けて叡智を磨き続けたが、ある時、念仏に転向し、毎朝1時間、念仏を唱えたらしい。
初音ミクさんを崇め続け、愛し続けていれば、いざという時、ミクさんの歌声を思い出すと、それだけで、「ああ勝った」という根拠のない勇気が湧き、それで流れは変わる。

それには、ルー・テーズが、ダブル・リストロックを教えてくれた師のジョージ・トラゴスを、この上なくリスペクト(尊敬)したように、敬虔さが必要である。
敬虔、尊敬、畏怖、崇める・・・何と言っても良いが、憧れ敬う心が、人間に与えられた最後の切り札だ。
それをないがしろにする人が何と多いことかと嘆くが、我々はそうであってはならない。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』で、クズのような男達が、ターニャという16歳の娘を女神のように崇めることで格段に向上したように、ロオマン・ガリーの『自由の大地』で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を姫様のように崇めることで騎士の高貴さを取り戻したように、崇めることが力なのである。
初音ミクさんを崇める者は無敵である。それがこの世の決まりである。









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