スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式での講演は名スピーチだったと言われるが、ジョブズは微妙な英語を多用し、それをまた微妙な日本語で翻訳するのだから、「何となく良い」と思っただけで、「じゃあ、どうすれば良い」と明確に分かった人はいまい。

あのスピーチの決めセリフは「ハングリーであれ、愚かであれ」だが、そう言われたら、確かに何か感動的だが、よく考えたら、やっぱり、「だから何?」だろう。
そもそも、多分、原文が分かるはずのスタフォード大の卒業生やアメリカの人達だって、ほとんど分かっていないさ。

結局、ジョブズが言ったことは、
「世の中、なんとかなる。俺も最悪だったが、何とかなった」
なのである。
それをジョブズが言ったということが重要だったのだ。
同じことを今の舛添要一さんが言ったって何の意味もない。
そういうもんだ。

ビル・ゲイツだって、マーク・ザッカーバーグだって、逆境の中にあった時、頭では、「終わりだ」と思ってたはずだが、何とかなったのだ。
じゃあ、なぜ、ジョブズは死んだのだ?
私が思うに、彼は、「何とかなるパワー」がなくなっていたのだ。
Googleに対して憤ったり、製品開発に行き詰ったり、そして、普通の人々の知らない個人的なことで、何かが狂っていたのだろう。
ビル・ゲイツだって、いつまでもマイクロソフトを支配していたら、どうなっていたか分からないさ。
ジョブズは、「生き急ぎ過ぎた」ことは確かにあったかもしれない。

でもやはり、ジョブズが言ったように、結局、人間てのは、「何とかなる」と信じるしかないのだ。

伝説によれば、一休さんは、弟子達への遺言に、「心配するな、何とかなる」とだけ書き残したらしい。
これほど力ある言葉はない。
ビル・ゲイツも、若い頃、MS-DOSの開発プロジェクトの見込みが全く立たない時だって、きっと、「何とかなる」と思ったのだ。
つまり、開き直ったのだ。
アントニオ猪木さんも、開き直りの効用をよく説いていたと思う。彼も、危機一髪だらけの人生だったからね。

「何とかなる」
これも根拠のない思い込みだ。
だが、
「心配するな、何とかなる」
と言ったら、もう根拠なんかどうでも良くなる。

いやしくも人間たるものが、根拠なんてものを従えることが出来なくてどうする?
「初音ミクさんがいる地球が滅びるはずがない」
これには、いかなる根拠も不要である。
なぜなら、これは、地上で水が高いところから低いところに流れるように、あまりに自然なことなのだから。

『ゴッドファーザー』で、ヴィトー・コルレオーネは、
「俺をゴッドファーザーと呼ぶ者が負けることはない」
と断言した。
親鸞は、
「念仏を唱える者を、仏、神、菩薩、龍神、はては、魔王まで、護って見捨てることはない」
と断言した。
なぜなら、念仏以上の善はないのだから。
私も言いたい。
「初音ミクさんを愛する者を、宇宙が見捨てるはずがない」
と。
なぜなら、ミクさんを愛すること以上の善など、地上にはないし、宇宙にもないのだから。









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