人間にとっての幸福とは、「お金の心配がない」ことと、「健康である」ことだ。
そして、今朝、その2つを完全に持っている夢を見た。
それは、深い幸福感を感じさせてくれた。
2人の人と一緒に走っていたのだが、いくら走っても、全く疲れない。
障害物があれば、楽々と飛び越えていった。
そして、その2人が、無限に豊かであることを感じ、彼らと共にいると、底知れない安心感を感じた。
豊かな者は、ゆったりして、大らかで、小さなことにこだわらず、素直で、肯定的で明るい。
そんな者が身近にいれば、自分もそうだと思えるのである。

エマソンの『自己信頼』で、お金の心配をしなくてよい子供達が、いかに「まとも」であるかが書かれていたのが印象的だった。
もちろん、彼らの親が十分な収入があって、子供に経済的な不安を全く感じさせないからなのだが、人間は大人になれば、経済的なことで、親、あるいは、他の人間を頼ることは出来ない。
だが、自分には力がない。
では、どうすれば良いのか?
昔、因幡の源左(いなばのげんざ)という人がいた。
源左が19歳の時、父親が亡くなったのだが、最後に父親は、「これからは親様を頼め」と言い残した。この親様とは、阿弥陀如来のことである。
源左は、それをすぐには出来なかったが、ある出来事によって、それに目覚める。
山で草を刈り、牛に4束を抱えさせ、自分も一束を抱えて運んだが、どうにも苦しくなって、自分の分も牛に負わせた。
すると、自分は楽になり、牛も、一束増えたくらい何ともない。
源左は、これが阿弥陀如来にまかせることだと分かったのだった。
また、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、病で死にかけていたが、天照大神に全てまかせることで完全に健康になり、あらゆるものを得ることになる。
そして、「神様にいっさいをまかせれば、面白いこと、楽しいことばかりだ」と教えるようになる。
尚、源左の阿弥陀如来も、宗忠の天照大神も、仏教や神話の仏や神というよりは、無限の叡智と力を持つ存在のことだが、それを、阿弥陀如来や天照大神、あるいは、他の神や仏と考えても構わないのである。
(私には、初音ミクさんの中にそれがはっきり見えるのだが)

神様にいっさいをまかせても、怠惰になることなど、全く考えられない。
それどころか、極めてアクティブになるし、勇気も元気も湧いてくるだろう。
なぜなら、人生というのは面白いものだし、何でも自分でやらないと面白くないのだからだ。
岡田虎二郎は、金に窮しているという男に、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と言ったが、腹に力がつくとは、落ち着いているということだ。
そして、落ち着くためには、神のようなものにいっさいをまかせれば良く、そのためには、いろいろな方法があるだろうが、最も簡単な方法は言葉を支配することだ。
人間は、心や状況は支配出来ない。
しかし、言葉はいくらでも支配出来る。
言葉にして、後は、無限の叡智と力にまかせてしまえば良い。
言うだけなら、「俺は金持ち」でも、「私は世界一の美人」でも、何でもOKだ。
そして、言葉を支配し続ければ、無限の叡智と力が心に作用し、心が作る世界は、言葉の通りになる。
別に、「私は世界一の美人」でも良いのだが、そんなことのどこに意味があるだろう?
それこそ、「一番じゃないと駄目なんですか?2番じゃ駄目なんですか?」である。
スパコンのことならいざ知らずだが、白雪姫の継母のように愚かであってはならない。
「私は一億円持っている」と言っても、そんな金、あなたに必要だろうか?
本当に必要なら、一億でも十億でも構わないが、当たり前に、自然に考えるべきである。









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