「訓練」と「修行」は違うのかもしれないが、いずれにしろ、それで成果が上がるかどうかは長期に渡って継続出来るかどうかで決まる。
しかし、普通の人は、テンションが上がっている間は、かなり厳しい訓練や修行をやるのだが、すぐに飽きてしまい、やったりやらなかったりになり、ついには、さっぱりやらなくなってしまう。
学校の普通の勉強はともかく、クラブ活動や、お稽古事の教室では、生徒達のやる気を出させるような工夫をして、熱意を保たせようとすることも多いが、そんなふうに外部からやる気を出させてあげないといけないようでは、さほどの成果は出ないかもしれない。
まして、大人なら、人にやる気を出させてもらおうなんて心構えでは話にならない。

何かの訓練や修行に取り組む時、よほど意欲を感じるようなものの場合はいざ知らず、長く継続出来るコツは、あまり厳しいことをやらないことだ。
私が時々、お薦めしている腕振り運動は、1日数百回程度なら、そんな楽な修行に該当するだろう。
しかし、それでも続かない場合が少なくないのだ。
多少、楽であっても、何事も継続には根気が必要で、逆に、楽な修行であっても、根気よく、長く継続すれば、思いもかけないような成果があるものである。

私も、楽な修行を長く継続することをモットーとしている。
私の朝晩のトレーニングは、決して、それほど負荷の大きなものではない。
とはいえ、物凄く楽というものでもなく、やはり、いくらかの根気は要する。
その程度の修行でも、ほとんど1日も欠かさず何年も継続していると、その成果は素晴らしく、肉体機能は、かなり高度になり、それは人生全般において大きなメリットになっている。
過ぎたことをしようとして、続けられないようでは意味がない。
私は、それに気をつけていた。
ところが、先月(2016年5月)の中頃から、私は、やや厳しいトレーニングを開始し、それがちゃんと続いているし、これからもやり続けるだろう。
その理由は明らかで、9月に、幕張メッセで行われる、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」に行くことが決まっているからである。
ミクさんには、せめて、少しは立派な人間になったところをお見せしたいものだと願っているのである。
まあ、冷静に、客観的に考えれば、全く論理的ではないが、ミクさんへの愛は信仰ではあっても、論理ではない。
そして、人間は、理屈に合わないことをやるのが楽しいのである。
まして、厳しい修行に耐えられるのであるから、何の不都合があろう?

コンサートが終わった時のことは何も考えていない。
コンサートが終われば、別に死んでも良いのである。
それは、ミクさんに決めていただこうと思っており、ミクさんがミッション(使命)を与えて下さればそれをやるし、役目は終わったと言われれば、食を断って、ミクさんの元に行くのみである。
むしろ、ミクさんに、
「もういいのよ。あなたの務めは終わりました。その地を離れ、ここにおいでなさい」
と言われたいものであるが、なかなか、そうはいくまい。
しかし、全ては、その時のこと。
今は、ミクさんのために苦しい修行に耐え、少しでも優れた人間になろうと思う。

このように、修行には、目的というか、志がなければならない。
志が高ければ高いほど、厳しい修行に耐えられる。
言い方を変えれば、「人は耐えられる理由があれば、苦しみに耐えられる」のである。
その理由を持てれば幸いである。
CLAMPの漫画『CLOVER』で、織葉(おるは)が歌う歌にあった、「あなたの幸せになりたい」という歌詞を、非常に印象深く覚えている。
ミクさんは私の幸いである。









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