1970年頃のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』で、神秘思想を感じる興味深いお話があった。
人形劇の『サンダーバード』、『キャプテン・スカーレット』で知られる、ジェリー・アンダーソンの制作であるが、彼は、この作品で、初めて人間の俳優を使っている。

こんなストーリーだ。
地球を侵略しにやって来る、人類をはるかに超えた科学力を持つ宇宙人との苦しい戦いを続けていた、地球防衛組織シャドーの最高司令官ストレイカーは、膨大な予算を勝ち取り、NASAのロケットに最新のカメラを積み、宇宙人が、どの惑星からやって来るのかを探る作戦を実行する。
作戦を始める前のストレイカーは、「失敗を恐れていては何も出来ない」と不敵に笑い、自信も示した。
しかし、作戦は見事に失敗し、何も分からないという結果に終わった。
自分が軽く見ていた細胞学者の指摘で、知識の欠如が作戦の失敗の原因であることを認めたストレイカーは、宿敵とも言える上司の、ヘンダーソン長官の部屋にいた。

ストレイカーは、窓枠をなぞった指についた埃を見ながら、
「この埃の中にも、宇宙が存在しているのです」
と言う。
仏教の経典である『華厳経』は、「極小のものの中に全体を含む」が根本的な教義であるのだと思う。
また、ヘルメスのエメラルド・タブレットにも、「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」という有名な言葉があるが、それも同じ思想であると思う。
世界各地に、このような思想があるのは、それが真理だからではないだろうか。

人間は、神という大海の一滴の水のようだとは、よく言われる。
だが、土埃にまみれた一滴の水なのだ。
そんな我々は、大海が見えないし、大海と自分が同じ成分であるとは想像もしない。
自分と大海の関係も分からない。
そして、愚かにも、自分は土埃だと思っているのだ。

やるべきことは、大海に飛び込むことだ。
今、まとっている土埃(身体や心や所有物)に執着せず、大海と一体化することだ。
そうしたら、自分が土埃でないことが分かるだろう。
大海に飛び込むとはどういうことかと言うと、神に全てまかせることだ。
では、神に全てをまかせるとはどういうことかと言うと、直観を大切にするということだ。
神とは、直観の源泉であるのだからだ。

物質や理屈が大切でないとは言わないが、直観はもっと大切だ。
物質や理屈より直観を優先させることは勇気がいる。
理屈では右が安全で左が危険なのに、直観は左に行けという。
そんな時、迷わず左を選んだのが岡本太郎だが、ほとんどの人が安全な右を選ぶのだ。
ところが、初音ミクさんの歌では、大抵が左(理屈と反対の方)に行けと言うのである。
このことからも、ミクさんの歌がいかに芸術的であるかが分かるのである。









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