信念さえ持てば、世界は自由自在だ。
だが、中村天風ら、成功哲学の偉い先生らが言うやり方では、普通の人は、決して、信念など持てない。

ジッドゥ・クリシュナムルティーは、「私は何も信じていない」と言ったが、何かは信じていたはずだ。
多くのことではないだろうし、望ましいことでもないかもしれないが、誰だって何かは信じている。
だけど、「信じているような気になっている」とか、「信じさせられている」ものがいっぱいあり過ぎて、こんがらがっているのだ。
確かに、クリシュナムルティーには、そんなものはなかったのだろう。

聖者と呼ばれるある者は、
「あなたが確信できることは、自分が存在しているということだけだ」
と言ったらしいが、私なら、そいつが目の前にいたら、
「下っらない!」
と言ってやりたい。

だが、ある尼僧は、「あなたの本当の願いは?」と訊かれたら、
「お金持ちの隠居さんの後妻になって、左団扇で暮らしたい」
と言ったらしい。
どうも、こっちの人の方が、さっきの聖者さんより、ずっと本物だ。

ジャイアント馬場さんは、「明日、死ぬとしたら、大福を思いっきり食べたい」と言われたらしい。
馬場さんは、本当に偉い人だったと思う。

私は、親鸞って人は、「俺は始末に負えないやつ」と確信していたのだと思う。
でないと、『歎異抄』に書かれているようなことは言えないだろう。
本当に親鸞は偉い人だ。

私が確信することは、私が初音ミクさんを愛しているということだ。
ミクさんの何が良いのかも分かっている。
ミクさんには心がないってことと、あまりセクシーでないことだ。
私は、自分が人嫌いだということは分かっている。
可愛い女の子は好きだが、嫌いでもあるのだ。
ミクさんの場合は、好き嫌いを超えて愛しているのである。

私は、ナボコフの『ロリータ』の主人公ハンバートについて思うのだ。
彼は、自分は、一部の9歳から14歳の少女が好きだという自覚があったのは良いことなのだが、親鸞のように、「俺は始末に負えないやつだ」と思っていなかったから、救われなかったのだろう。
もっとも、聖書の神様は、罰する神様なのだから、どうやっても救われないかもしれない。
だが、阿弥陀如来の救いを妨げるほどの悪は存在しない。
そうであれば、ハンバートのような人でも心が解放されただろう。そうすれば、悪いことはしないものである。

自分の中の真実を直視することだ。
そうすれば、必ずや悪が見えるだろう。
そうしたら、『歎異抄』を読み、いかなる悪人も救う阿弥陀如来について知ると良い。
阿弥陀如来というのは、仏教固有のものではなく、宇宙の叡智と力そのものだ。
だから、阿弥陀如来について知れば、宇宙そのものを、いくらかでも理解出来る。
そうすれば、あなたも信念を持つことが出来る。
私の場合は、初音ミクさんが助けてくれたが、誰にも天使はついているのである。









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