世の中にダイエット法なんてものが沢山あるのは、私には、不思議というよりは滑稽だ。
痩せるための原理は、余計なものを食べないというだけのことで、他には何もない。
無理な断食や超少食なんてことをしなくても、ごく普通に食べれば良いだけだ。
もし、必要以上に食べることを我慢出来ないなら、痩せる必要はない。
好きなだけ我慢せずに食べて痩せる方法なんてものがあったら、それは不自然なことなので身体を壊すし、ことによったら、取り返しのつかないことになるかもしれない。

だから、痩せてすらりとした身体になりたければ、余計なものを食べなければ良いが、何が余計な食物かは、いくら何でも分かるはずだ。
要は、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ、それで良い。
あるいは、腹八分目に食べれば良いという言い方も出来る。
肥満してたのが痩せると、確かに良いことだらけで、デメリットは1つもないのだから、当然、痩せることはお薦め出来る。
どこぞの医者が書いているような、炭水化物を嫌う必要もない。
量が適切なら、ケーキを食べても太るはずがない。

だが、問題は、「痩せたいのに、余計なものを食べることを我慢出来ない」ということと思う。
つまり、食べたいだけ食べられないのは「苦しい」と言うのだろう。
しかし、世の中って、苦しいことだらけじゃないか?
その苦しみに耐えてこそ、力がつき、自由に世の中を闊歩出来るのである。
人間が絶えなければならない苦しみとは、「孤独」、「屈辱」、「不安と恐怖」、「性欲」、そして、「食欲」だ。
尚、多くの場合、これに、人間嫌いである「同族嫌悪」が加わる。
それらに負ければ、人生に負けるし、勝てば、人生に勝てる。
これは勝負なのであるから、がんばって勝つしかない。
負けた者は奪われるが、勝つ者は全てを得る。

これに関し、私は忘れないようにしていることがある。
1974年、ザイール(今はコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われた、王者ジョージ・フォアマン対、挑戦者モハメド・アリのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチである。
元王者モハメド・アリは、徴兵を拒否して王座を剥奪され、3年半のブランクがあり、復帰後の1971年、王者ジョー・フレイジャーに挑戦するが、善戦しながらも判定負け。
年齢も32歳と、当時のボクシング界では高齢であり、モハメド・アリも、かつての神懸り的な絶対王者カシアス・クレイではなくなったと思われていた。
一方、フォアマンは、ジョー・フレイジャーをその前年にKOで下して、統一世界ヘビー級王者になっていた。
年齢も25歳と若く、「怪物」と呼ばれる圧倒的強さだった。
アリのフォアマンへの挑戦は無謀とも言われた。
試合開始後、フォアマンの一方的な攻めに、アリはロープ際で亀になって(防戦一方の意味)動かない。
これを、フォアマンを疲れさせるアリの作戦と言う者もいるが、ガードの上からでも、フォアマンの殺人パンチは強烈であり、むしろ、倒れないアリに驚かされた。
フォアマンが攻めているのだから、レフェリーも止める訳にはいかず、そんな状態が8ラウンドまで続く。
そして、8ラウンド終了間際、不意に攻撃に転じたアリのパンチがフォアマンを捉え、たった2発でフォアマンが倒れるという、ほとんど有り得ない、奇跡のような光景が現れた。
自分の敗北が信じられなかったフォアマンは、「薬を盛られた」など、錯乱したようなことを言っていたが、後に撤回している。
そして、自分の殺人パンチに耐え続けたアリについて、非常に重要なことを言う。
「人間は苦しみに耐える理由があれば耐えられるんだ。アリには、苦しみに耐える理由があったんだ」
フォアマン自身、その3年後の28歳で引退したが、40歳を過ぎて現役復帰し、苦しみに耐えてトレーニングとダイエットに励んだ。
そして、遂に若い時の身体を取り戻し、45歳にして世界王者に返り咲いた。

苦しみなくして、勝利も幸福もない。
我々は、苦しみに耐える理由・・・つまり、志を持っていなければならない。
私も、2007年7月末までは、飽食、美食で、肉類が好きで、甘いものも大好きで、ほぼ無制限に食べていた。
当時、体重は94kg(身長177cm)あり、体調も悪く、メニエール病の発作で倒れたこともあった。
それが、ほぼ瞬間に、1日1食の菜食主義になり、その1食も、少しの米、豆腐、野菜だけという、これはちょっと極端な少食だが、とにかく、そんな食事になった。
間食は一切しなかったし、飲み物も水以外は飲まなかった。
その3ヶ月ほど後の健康診断の時には体重は71kgまで落ちていて、さらに減り続け、現在は63kgで安定しているが、食べるのを忘れると60kgを切ってしまうこともある。
私にも、苦しみに耐えられる理由があったのである。
つまり、少しは志というものが持てたのだろう。
私が1日1食になって一ヵ月後に初音ミクさんがこの世に生まれたのは偶然ではないと思っている。
私は、自分でも、なぜ不意に少食になれたのか不思議だったが、ミクさんの誕生を予感してのことだったに違いない。
崇めるべき天使の降臨にあたり、御前に出るのに恥ずかしくない者にならなければならなかったのだ。
今年9月には、いよいよ幕張メッセでの「マジカルミライ2016」で、ミクさんに逢いに行けるのである。
神が許したことなれば、楽しまずんば、これ如何である。
尚、初音ミクさんの『Chaining Intention』を聴き、MVを見て以来、食の慎みはさして辛くはなくなったが、あくまで、少しは苦しみに耐えたからである。

苦しみに耐える理由は、こじつけで良い(私のがこじつけだと言いたくはないが、そう思われる向きには、それでも良い)。
こじつけには、知識、ロマン、思考能力も必要だ。
だが、最も大切なlことは、やはり志である。









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