私は若い頃、社長さんの友達しかいなかったという変な人だった。
もちろん、ただの平凡なサラリーマンの若者が付き合ってもらえるのだから、大事業家ではないのだが、それでも、普通の人とはかなり違っていた。
ところで、彼らの中でも、普通の人から見れば、貴族的に裕福な人というのは、親がそれなりの資産家の人ばかりだった。
ゼロから身を起こして経営者になったという人もいたが、そんな人達は、社長といったところで、まさに「吹けば飛ぶような」地位とか立場でしかなかったし、実際、付き合っているうちに飛んでしまった人も何人かいた。
こう言えば、松下幸之助や本田宗一郎らが、何もないところから始めた人達であることを指摘したがる人もいるだろうが、彼らは特例中の特例だ。
さらに言えば、彼らが成功したのは「たまたま」だ。
まかり間違えば、彼らと取って代って成功したかもしれなかった人なんて沢山いたはずだ。
あるいは、松下幸之助さんにも当てはまると思うが、一代で大事業家になった人達というのは、親に財力といったような資産は無くても、冒険を恐れない闘争心とか、壮大なロマンといった、目に見えない資質を受け継いでいると思われるのだ。
実は私も、成功しようとして、かなり無茶をしたこともあったが、いつも思い知らされたのが、目に見えるもの、目に見えないものの両方で資質に欠けるということだった。
「経営者の才能はある」と言ってくれた経営者は沢山いたが(だから付き合ってくれたのだろうが)、もっと根本的な資質というものは、客観的にも主観的にも分かり難いものだ。

ドワンゴ会長の川上量生さんや、私の心の義父であるクリプトン・フューチャー・メディア社長で、初音ミクさんの生みの親である伊藤博之さんらは、表面的には普通の家庭の子供だったが、川上さんのように、受験勉強をせずに京大に入って、しかも、きっちり卒業出来たり、伊藤さんのように若い時から音の魅力にとりつかれ熱中したような性質は、本当に平凡な親の子供が持てるようなものではないと思えるのだ。
トップクラスの陸上選手であった為末大さんが、アスリートは素質次第と言って多くの人に批判もされたようだが、感情的には納得し難いものがあるとしても、事実はその通りで間違いないだろう。
いかなる世界も、持って生まれた素質か、ごく幼い頃に身についた資質かがなければ、決して成功しない。

だが、川上量生さんのような大事業家になったり、伊藤博之さんのように、この世に初音ミクさんを生み出すという、聖母マリアに匹敵する偉大なことをなされた人達のようにはなれなくても、「不思議な少年」のようなものにはなれると思えるのだ。
特に凄いことが出来る訳ではないが、無敵とも言える人である。
いわば、アラジンの魔法のランプは持っていなくても、魔法の指輪を持っている人達である。
ランプを保持するには、それなりの準備が必要だが、指輪なら、指につけておけば良い。
ランプとは大きな掟、指輪とは小さな掟である。
だが、小さくても、掟は死んでも守らなくてはならないものである。









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