人間は自惚れが強いので、自分よりかなり能力が高い者がいても、自分の方が劣ってるとは、なかなか認識しない。
それに、普通の人は、誰かに、大きな能力の差を見せつけられることも、あまり多くはない。
そして、能力の低い人間ほど、高い能力の持ち主と競い合うことがないので、ますます、自分の能力の低さに自覚がなく、自分の能力は高いと妄想するようになる。
このブログで度々登場する、まるで駄目男君がまさにそうで、そんな者を救うのは極めて難しい。
能力を高める努力をする者というのは、誰かに圧倒的な力の差を見せつけられ、屈辱を感じた者だけである。
だから、屈辱を感じるのは素晴らしいことなのだ。

私が高校生の時、大学生でボート部だった従兄と腕相撲をし、瞬間で負け、あまりの力の差に愕然とした。
私は、自分が負けるとは思っていなかったのだ。
相手は、大学のボート部で、毎日物凄いトレーニングをしているのにである。
なんとひどい自惚れであったことか。
しかし、それから私は、毎日、腕立て伏せや、アイソメトリクス(静的筋力)トレーニングなどで鍛え、1年後に再戦した時は、いつまでも決着が付かずに引き分け、その1年後には、遂に私が勝った。
どこかの大学のスポーツ部のポリシーだったと思うが、「強い相手に挑め」というのがあったと思う。
まあ、あまりに無謀なもの(駆け出しのボクサーがプロボクサーに挑むなど)はいけないし、また、あまりに頻繁にやって自信を無くしてもいけないが、勝ち目のない相手に挑む機会をなるべく持たなくてはならない。
まるで駄目男君は、そんなことを全くしなかったのだ。

そして、人間の間に、呆れるほど大きな能力差というのは、確実にある。
人間は、上には上がいるのだから。

手塚治虫さんの『マグマ大使』という漫画で、子供型のロケット人間(ロケットの機能を持つアンドロイド)のガムが壊れた時、マグマ大使やガムを作った、地球の神のような存在のアースが、ガムを抱きかかえて、ドアの中に入るが、アースはすぐに出てきた。
マグマ大使が、「何かお忘れですか?」と尋ねると、アースは、
「何を言っておる!もう治ったよ」
と言う。
私は、いかに漫画とはいえ、アースの桁外れの能力の高さにシビれたものだ。

ビル・ゲイツが、プログラマーの能力の差について、こんなことを言ったことがある。
当時は、モバイルパソコンやタブレットといったものが存在せず、プログラムコードを紙に印刷することがよくあった。
ある、重要な、長いプログラムコードの印刷物を見た1人のプログラマーは、
「一週間ほど貸していただければ、理解しようと思います」
と言ったが、別のプログラマーは、
「今夜、貸してもらえませんか?夕食後に1時間ほど見れば分かると思います」
と言った。
つまり、同じプログラマーと言っても、これほどの能力の差があるのである。

ところで、人間の能力の差というのは、実は、時間を拡大する能力の差なのである。
能力が低い人が1秒と感じる時間を、能力が高い人は、数秒、10秒、20秒、あるいは、それ以上に拡大することが出来るのだ。
イチローは、ボールをバットで捉える瞬間を、時間を拡大して見ることが出来るので、ボールのどの部分をどの角度で叩くかさえ決められた。
それが、「天才的なバットコントロール」という結果になる。
ただ、年を取ると、時間は伸ばせても、自分の神経がついていかないので、若い時ほどうまくやれないのだ。

時間を拡大することが出来れば、女の子と話していても、気の利いたセリフを言える可能性が高い。
容姿端麗でもないのにモテる男というのは、人間性が優れている場合もあるが、多くの場合は、時間を拡大する能力が高いのである。
その不可思議な能力を得れば、誰でも能力を高め、ことによれば、天才になる。
どうすれば、その能力を得られるかと言えば、真実を単純に言ってしまえば「無になる」ことである。
そのためには、複式呼吸をするとか、呪文やマントラを繰り返し唱えるとかあるが、一番はやはり、純粋な情熱を持つことだ。
いったいなぜ、その能力を高めたいのか、よくよく考えれば、それが自分に本当に必要なものかどうか分かる。
どうしても情熱が持てないなら、別のものを探すことだ。
何も見つからないなら、もっと基本的なところを見直すことである。
例えば、生活が怠惰ではないかとか、甘過ぎる状況にいたり、あまりにリスクを避けていないかなどである。
高い能力が、単純でリスクのないことで得られるなどと、甘ったれてはいけない。









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