人間として、最高の知恵者は誰だろう?
それは、いまだ、古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前399没)なのだ。
これは確かなことだ。
簡単に説明したい。

知恵とは、精神的な能力である。
作家には、優れた文章を書く知恵・・・つまり、精神的能力がある。
音楽家には、優れた音楽を作る知恵・・・つまり、やはり、精神的能力がある。
現代の優れた音楽家に関して言えば、私は、ぼかろPの皆様以外は、あまり知らないようになってしまったが、その他では、坂本龍一さんや冨田勲さん、あるいは、小室哲哉さんなどが、私が知っている、音楽に関する優れた精神的能力、即ち、音楽を作る優れた知恵を持った人々ということになる。
そして、ソクラテスという人は、そんな、優れた知恵を持った人がいたら、分野を問わず・・・作家、詩人、哲学者、科学者、音楽家、政治家、職人、その他の人々を必ず訪ね、その知恵を確認に行った。
その結果は、不思議なものだった。
ソクラテスは、それらの人々の誰も・・・誰一人・・・知恵を持っていない、つまり、精神的能力がないことが分かったのだ。
もし、ソクラテスが現代にいて、坂本龍一さんを訪ね、詳細にインタビューすれば、ソクラテスは、「坂本龍一さんには音楽の知恵はない」と結論付けるのである。
ただ、ソクラテスが訪ねた「知恵があると言われている人」自体は、自分には、その分野の知恵があると、必ず思っているのである。

例外と言えるのは、岡本太郎さんがそうかもしれない。
彼は、「僕が描くような絵なら誰でも描ける。あなたも本日、ただいまより芸術家になれる」と言ったからだ。
つまり、彼は、自分には、他の人に優る知恵はないと言っている訳である。
池田満寿夫さんは、才能ということも確かに認めていたが、「僕の絵は、町の似顔絵屋に馬鹿にされるレベル。実際、馬鹿にされていた」、「僕の絵は便所のラクガキ」と言い、つまりは、誰でも描けると言っていたので、岡本太郎さんに似たところもあるかもしれない。
横尾忠則さんは、「私は、天の美を地上で表現する神の道具」といったようなことを言われていたが、真意は私には分からない。

そして、ソクラテスは、当時、後世、そして、現代に至るまで、優れた知恵者と言われているが、自身に関しては、「何の知恵も持っていない」と断言している。
これは、謙虚とか、謙遜というのとは全く違う。
「本当に自分には全く知恵がないことを知っていた」のである。
ここまで明確な認識のある人は、人類史上でも彼一人ではないかと思う。

ニュートンは「私の知恵は神から預かっただけ」と、アインシュタインは「私の物理学は趣味で、大したものではない」と言ったと思う。
ニュートンが尊大だったのは、世間がそうさせたのかもしれないし、アインシュタインは、自分を全く重要人物と見なしていなかった。
彼らも、かなりの知恵者だったかもしれない。
それでも、ソクラテスほどではないと思う。

そして、ソクラテスは、自分には何の知恵もないことを明確に知るがゆえに、他の人に比べれば知恵があるのである。
誰だったか忘れたが、現代の賢人と言われる有名な人が、19歳の姪っ子と話していて、当然ながら、自分の方がずっと賢いと感じたが、ソクラテスを思い出した。
ソクラテスが自分は全く無知だと言うが、自分がソクラテスに優るはずがないということくらいは分かるので、やはり、自分も、この姪っ子との差はないはずだ・・・そう思ったようだ。
そんな彼は、ソクラテスに多少近いと言える。

だが、こんな話をすると、上辺は「私も全く知恵がない」と謙虚そうにするが、馬鹿さ加減を指摘されると、プライドが傷ついて激怒する者ばかりだ。
つまり、「自分に知恵がない」と本当に認識することは難しいということだ。
そこで、正しい方法は、とりあえず、自分の正直な気持ちの通り、「自分には知恵がある(俺は賢い)」として、その知恵を積極的に使うことだ。
そうしたら、散々な目に遭い、ようやく、自分の知恵が猿知恵であったことが分かる。
それをせずに、「自分には知恵がありません」と言う者は、尊大な馬鹿より、もっと、馬鹿なのである。
まるで駄目男君が、全くそうである。
彼は、口だけは、「僕は何も出来ません。つまらんものです」と言いつつ、軽く扱われると傷付くのである。
ある時、「皆が僕に挨拶してくれないんです」と、私に訴えてきた。
まあ、それは彼の被害妄想なのだ。皆がたまたま忙しくて、彼に挨拶しなかっただけで、どんなに忙しくても挨拶しなければならないのは、社長のような偉い人だけだという道理が彼には分からないのだ。
そこで私は、「何も出来ない馬鹿に挨拶しないのが、なぜおかしいのかね?当たり前じゃないか」と言ってやった。
彼は「確かに」と、やはり口でだけは言うが、全然納得していないのだ。
彼は、失敗を恐れて何もしないので、自分の馬鹿さが本当には分かっていないのだ。
まるで駄目男君になりたくないなら、失敗を恐れず、挑戦するしかないのである。

馬鹿なことをやろうなんて思わなくて良い。
あなたのやることは、全部、馬鹿なことなのである。
・・・こんな言い方は好かれないようだ。
だが、「我々のやることは、全部、馬鹿なことなのである」と言ったら、温かく迎えられるのである。
そんなプライドの高いことでは駄目だ。
老子は、「私のやることだけが全部、馬鹿なことなのだ」と言ったが、もし、老子が人間なら、ソクラテスに劣らないだろう。
だが、老子は、半分、神であったかもしれない。
そうであるなら、ソクラテスに優って当然である。
その老子が、我々より低い位置に自分を置いて平気なのである。
恐ろしい知恵である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ