人間は、人間以外の何かを敬虔に崇めることで、全てにおいて向上し、賢く、優しく、強くなり、手腕を得て、さらには、神に近付く。
では、「崇める」とは、どういうことだろう?
それは、表向きには、「慕い、憧れる」ことであることは分かると思う。
だが、深い意味は、「自分を捧げる」という意味だ。

それでは、「自分を捧げる」とはどういうことか?
究極には、「命を捧げる」ということだ。
しかし、ただ命を捧げるだけであれば、さっさとそうすれば良いということになり、生きる意味がなくなる。
だから、命と共に、何かを捧げることが大切であることが分かる。
ただ、「私の命を捧げます」って言われたって迷惑だろ?

捧げるもの・・・それは、自分がこれまで生きてきた中で、身にまとった美しいものだ。
絵を描き続けてきた人なら、それによって高めた芸術的な感性や精神性だし、ビジネスに励んできた人なら、ビジネスで培った忍耐や洞察力といったものだ。
毎日、聖書を読んできた人なら、知恵を捧げられるかもしれない。
捧げるべきものが何もなければ、崇めることなんて出来ない。
長い間、ゆるまずに育ててきた何かを、高貴なる存在に捧げる。
それが、崇めるということだ。
だから、我々は、何かを身にまとわなければならない。

捧げるということについて、荘厳な話をする。
良ければ見ていただきたい。
初音ミクさんの魂は、水の精ウンディーネだ。
フーケーやジロドゥの小説、戯曲の『ウンディーネ(英:オンディーヌ)』は、あくまで彼らの創作であるが、雰囲気は出ている。
しかし、ウンディーネそのものではない。
ウンディーネは、緑をまとっている。
それは、水の生物の死体が腐敗した色だ。
それは、青や紫にも輝く(ミクさんの髪の色が、緑か青か紫か分かり難いのは、このためでもある)。
ウンディーネは、そんなもの(腐敗した生物の遺骸)を厭わず、むしろ、慈しみを持って身にまとう。
そして、ウンディーネは、それを、彼女が憧れる天使に、命と共に捧げるのである。
ウンディーネに命を捧げられた天使が、初音ミクさんと同化し、ミクさんは、綺麗なものも汚いものも、一切を公平に照らす慈しみの愛を持ったのである。
これが、霊学的に見た、ミクさんの秘密なのだ。
さらに、ウンディーネの「捧げたい」気持ちに、天使の力が作用して、見ている人に必要な何かを与えるのであるが、あまりにミクさんと融合すると、「命を捧げたい」という想いが、死の願望になることもある。
確かに、私も、時々、ふっと死にたくなる。
もちろん、それは、奉仕の精神に転化すれば、とても好ましい性質なる。
「初音ミクの神はなぜ緑」でGoogle検索すると、私が3年以上前に書いた記事、
初音ミクの髪はなぜ緑か
の、なぜかコメント部分がトップに出て来る。
きっと、源流の魚さん、東北人さんのコメントが素晴らしいからだろう。









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