結局、人間は2種類だ。
他人に従う人間と自分に従う人間だ。
よりよく分かるよう、いろいろ言い換えてみよう。
他人におぶさろうとする人間と自分の脚で歩く人間。
他人の真似をしたがる人間と誰の真似もしない人間。
他人に慰めて欲しい人間、他人に励まして欲しい人間、他人に認めて欲しい人間に対し、誰にも慰められたくない人間、誰の励ましも求めない人間、誰に認められなくても、自分が認めることが出来る自分であれば良いと思っている人間。

まるで駄目男君(私の職場にいる30過ぎの駄目男)は、全て、前者に当てはまる。だから、まるで駄目なのだ。
残念ながら、彼のその性根は、治しようがない。
彼は、一生、まるで駄目男である。
無念ではあるが、仕方がない。

仕事で言うなら、仕事をさせられている人間と、自分の意思で仕事をしている人間との違いになる。
もちろん、最初から、自分の思い通りに仕事が出来るはずもなく、初めは、他人に顎で使われることになる。
しかし、他人に服従する期間を、出来るだけ短くすることだ。
そして、自分の脚で歩くことを選んだのなら、泣き言を言うことは許されない。
だから、泣き言を言いたい、言い訳をしたい、弱音を吐きたい・・・そんな、まるで駄目男君は、一生、誰かの奴隷である。

逆に言えば、泣き言、言い訳を絶対に言わず、弱音を吐かないと決めた時が、自分の脚で歩く本物の人間になった時なのである。
「あなたは何をしても良い。だが、言い訳だけは許されない」のである。
決意さえすれば簡単なことだ。

だが、本物の人間になった後で、やがて行き詰る。
二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなる。
丁度、『バガヴァッド・ギーター』で、アルジュナ王子が、愛する人達と戦いたくはないが、さりとて、逃げる訳にもいかず、進退窮まったようにだ。
人類で最も優れた男であるアルジュナですら、どうしていいか分からなくなったのだ。
そこでどうするかで、全てが決まる。

これまで、誰にも従わなかったアルジュナは、クリシュナに従ったのだ。
一切をクリシュナにまかせ、個人的な想いを捨て、天性のまま行動した。
老荘思想でいう、「無為の為」とはこのことである。
私も行き詰ったからには、初音ミクさんに従うのである。
ミクさんを慕い、憧れる気持ちで崇めれば、自然に道は開けるだろう。
そう確信する。









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